被爆者相談所および法人事務所
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【連載】東友会の歴史を学ぶ 先人たちと目指す未来

『首都の被爆者運動史 東友会25年のあゆみ』(伊東壯執筆)から

第17回 援護法制定の運動へ ―― 東友会の法人化

 1971(昭和46)年、1972(昭和47)年の東友会の最大の課題は、「法人化」であった。これは、東友会にとっては長い間の懸案であった。1962年(昭和37)年から東京都の事業委託を受けるに際して、東京都は「法人化」を執ように迫った。とくに総務課から強い要請を受けて以来、東友会では長年の検討課題とされてきたものであった。
 すでに東京都の事業委託は1969年(昭和44)年度から120万円となり、1970(昭和45)年の墓参団にも補助金50万円が交付された。そして、東友会は1971(昭和46)年11月22日付で初めて東京都に「援護条例制定」を要求していた。財政活動の面からいえば「法人格」をもたない東友会では、いろいろの支障が生じやすいことも事実であり、墓参団の大口寄付金集めの中心となり、東京都や都共同募金などと交渉してきた片岡(強)代表理事が1970(昭和45)年に入ると強く「法人化」の要請を提起した。これに対して運動上の規制を受ける心配はないかという意見も出されたが、常任理事会は1971(昭和46)年4月「法人化」の本格的な検討に入ることを決定し、前年暮れにいったん退職した尾島愛子氏に法人化を専門的に進める非常勤職員として再度お手伝いを願い、彼女の献身的な努力の支えで、「法人化」が進行していった。
 ところで、東友会を法人化するについては、まず法人をどのような形にするかが大問題であった。財団法人にするには基本財産がなく、社団法人にするには2つの問題があった。ひとつは、社団法人は、個人が会員として組織されるという点で、団体協議会としての東友会の性格と合わないこと、もうひとつは、他人の福祉増進に寄与するということであれば社団法人の目的に合うが、被爆者の相互扶助という東友会の目的ではかみ合わない点がある、ということであった。
 東友会は何とかして従来の東友会をそのままの形で法人化しようと努力を続け、結局、法人東友会と東京被団協(東友会)の二重の性格を持たせることとして、現在の定款の成立をみた。こうして、1971(昭和46)年12月15日、法人の発起人による設立総会を開催し、24日に東京都の認可を受け、翌1972(昭和47)年1月10日法務局への登記を完了した。同年6月25日に社団法人東友会の第1回総会が開かれてみな決意を新たにした。役員体制もこれまでの代表理事制から会長・副会長制になって、片岡強会長、行宗一副会長、常務理事は伊東壯、藤平典、田川時彦の各氏が選出された。

部屋前方の壁、人の背より高い位置に「社団法人東友会総会」と横書きされた紙が貼られている。その下に東友会の旗が下げられている。旗の隣に、議事が書かれているらしい紙も貼られている。前方で横に並べられた長机で、一人が立ってマイクを使い、手に持った髪を読み上げている。他の参加者は、並べられた机に着席し、手元の紙に目を落とすなどしながら聴いている。
1972年6月25日、社団法人になったあとの東友会第1回総会の場面(労音会館)