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【連載】東友会の歴史を学ぶ 先人たちと目指す未来

『首都の被爆者運動史 東友会25年のあゆみ』(伊東壯執筆)から

第11回 東友会再建へ2――市川女優座公演の成功

 1964(昭和39)年4月、東友会は1年半ぶりに各会代表者による第6回総会を開いた。そして、代表理事に及川義衛門、行宗一の両氏、事務局長に伊東壯、その他の常任理事は、安藤賢治、長尾當代、永坂昭、樫野三郎、松本剛、砂川三郎、川瀬節夫、大久保有一、吉持哲男、市岡英史、竹沢丕衛の各氏11名が就任した。
 再建にあたっての第一の課題は、財政の立て直しであった。たまたま、長尾さんがテレビでみた市川女優座の公演の話が品川の片岡(強)会長の下にもちこまれた。片岡会長は東友会を助けて再建に乗り出そうという決意を品川の会で述べ、品川の会はその全面的なバックアップを決定した。こうして市川女優座の公演が1964(昭和39)年12月に品川公会堂でおこなわれた。「東友」第29号(1965(昭和40)年1月15日)は、そのことを1面トップの「東友会ようやく機能回復」の見出しのもとに、次のように報じている。(以下、記事引用部の明示はウェブページ作成者による)

 昨年来、活動面でも資金の面でも継続があやぶまれていた東友会では、去る12月4日(金)市川女優座による義捐公演を行った。この公演では東京都をはじめ、多くの団体が積極的に援助し、約1600名の観客を動員して成功をおさめた。
 この公演の成功は品川被爆者の会が献身的な努力をし、片岡会長はそのため1貫500もやせ、また常任理事のなかには、切符を売る責任を痛感するあまり、丸坊主になる人も出るなど、東友会を維持するために、多くの被爆者が悲壮な覚悟をもってあたった結果であり、日当を棒にふって当日応援にかけつける失対被爆者など、当日の応援被爆者も40名以上にのぼった。
 役員は被爆者が団結したときの力の大きさをつくづくと思い知らされるとともに、こんごとも、一人でも多くの被爆者が、東友会の維持と発展のために、東友会に力をおかし下さることを切望している。
 また、市川女優座に対しては、紙上をかりて深く感謝いたします。

 文中の丸坊主になった人は、安藤氏である。一つの行動は、成功すれば財政も生み出せば活動家も生み出す。まさに、「(昭和)38年危機」は、1年後の「市川女優座公演」でようやくのり切れる糸口を見つけたというべきである。

「市川少女歌舞伎改め 市川女優座公演」と大きく書かれたポスター。役者5人の顔写真が上部に刷られている。その下には「上演芸題」として「菊畑」「釣り女」「野崎村」など6本のタイトルが書かれている。役者の名前や舞台上の役者のイラストもある。一番下に、「10月7日 品川公会堂」「鑑賞券 ¥380 税共」など書かれた別の紙が、ポスターに一部重ねて貼られている。この紙に、「主催 東友会 品川被爆者の会」「後援 東京都衛生局」「協賛 品川区 品川区社会福祉協議会」と書かれている。
1966年の第3回公演の案内ポスター