【連載】東友会の歴史を学ぶ 先人たちと目指す未来
『首都の被爆者運動史 東友会25年のあゆみ』(伊東壯執筆)から
第2回 東友会前史――東京での被爆者の集まり
東京で被爆者の集いが始められたのは1954(昭和29)年11月。日赤中央病院で都築正男博士がおこなった健康診断(編注)に集った被爆者たちの手によってであった。そのうちの何人かが世話人となり、1955(昭和30)年暮れから組織活動を始め、やがて1956(昭和31)年4月15日に「原爆被災者の会」を発足させた。事務所は港区芝白金猿町におかれ、世話人は9人。会の趣旨は、思想・信条をのりこえて被爆者医療を政府の手でおこなわせようとしたものだった。
この会は、1954(昭和29)年のビキニ被災以来、全国的にもり上がって来た原水爆禁止運動の高揚、広島、長崎、長野、愛媛4県を先頭とした全国被爆者の組織化と軌を一にして生まれ、1956(昭和31)年8月に発足した日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に加盟こそしなかったが、その運動目標の一つで「被爆者医療」を政府の手で行わせようとすることと一致した目標をもち、全国との連絡を保っていた。そして、1956(昭和31) 年4月15日、1957(昭和32)年3月24日の2回にわたって、総会ともいうべき「集いの会」を開き、1957(昭和32)年の医療法施行(編注)までは、日赤中央病院とタイアップして健康診断、健康相談をおこない、医療法が施行されてからは、その広報と被爆者健康手帳の斡旋をおこなった。また、東京都に対して1957(昭和32)年11月に医療法の施行上の改善陳情をおこなった。さらに1956(昭和31)年8月には、東京を中心に、愛媛、京都、長野を加えた被爆者調査を実施した。この調査票の配布数は、都内で1091人にのぼっており、ほぼこの数が当時の会員とみなしてよいであろう。
年 | 全国 | 東京 |
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1945(昭和20) |
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(このころ、日本政府による被爆者援護は皆無) | ||
1954(昭和29) |
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1955(昭和30) |
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1956(昭和31) |
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1957(昭和32) |
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1958(昭和33) |
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