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【連載】東友会の歴史を学ぶ 先人たちと目指す未来2

『沈黙から行動へ 東京のヒバクシャ30年のあゆみ』から
「東友会25周年から30周年へ」(伊東壯執筆)

東友会25周年から30周年へ2

 ところで、肝心の第2回国連軍縮特別総会(SSD II)は、第1回目と違って合意文書を出すには失敗したが、6月11日(ウェブページ作成者注 1982年)にニューヨーク大行動が100万人という史上最大のデモと集会になったことでもわかるとおり、世界からの参加者は、反核平和の国際世論を盛り上げるうえで大きな役割を果たした。
 この中では、日本被団協の山口仙二代表委員が日本NGOを代表して演説し、また日本被団協からの参加者はそれぞれに、各国代表部や各国平和団体と交流して、被爆の実相を訴え、当時まだ低かった広島・長崎での被害についての認識を高めた。これとは別に、8月、日本被団協はヨーロッパに遊説団を送り、東友会からは小西悟、中山多輝子、田邉俊三郎の3氏が参加して、広島・長崎の被爆を訴えた。

 他方、国内では国民法廷運動が進み、東友会の中では、新宿、世田谷(区民会館で2回)、千代田、杉並、世田谷烏山、世田谷玉川、世田谷砧、文京、都教組北多摩西で国民法廷が開かれた。たくさんの都民の協力をえて、多くの被爆者たちが自分の被爆体験と原爆被害の実相を証言し、参加者に深い感銘を与えた。
 東友会は11月14日、日赤会館で130人が参加して、東友会結成25周年記念式典と祝賀会を開き、25年の歴史の上にさらに素晴らしい新しい歴史を積み重ねることを誓い、また記念誌『首都の被爆者運動史』を公刊した。
 またこの年、狛江・狛友会、多摩市やまばと会の2つの会が結成された。

 この年の暮、1973(昭和48)年から9年間にわたって東友会事務局員をつとめた米津優喜子さんが退職。そして、1983(昭和58)年1月から村田未知子さんが事務局員に就任した。

 1983(昭和58)年度、日本被団協は、被爆者要求調査をもとにして一方で対政府交渉を進めるとともに、他方で基本懇(原爆被爆者対策基本問題懇談会)の意見書発表以来の情勢もふまえて、それまで日本被団協が運動の基本方針としてきた「要求骨子」の検討に着手した。また、国民法廷、ヒロシマ・ナガサキを語りつぐ運動、国際的な語り部運動も進めた。
 こうした中で東友会では、豊島、板橋、世田谷、練馬で国民法廷が実施され、江東、墨田では会の再建がおこなわれた。また非核東京宣言の運動が開始され、東友会もこれに参加して署名運動などをおこなった。
 この年の総会では、長期にわたる病気療養で入院している片岡強会長を名誉会長にいただき、新会長に伊東壯が選出された。

「原爆を裁く国民法廷各地で 涙と怒りどよめく」の大見出しで報道する紙面。「新宿法廷」と書かれた看板が舞台上の席に座る人たちの頭上からさげられた早稲田大学の講堂の写真、区民会館会議室のの座席を埋める参加者が写る「世田谷法廷」の写真が添えられている。他に、第2回国連軍縮特別総会に代表派遣された被爆者の手記、「東友会からのお知らせ」として、「被爆者の手当額」と、「映画フィルム貸し出し」などの記事がある。
「国民法廷」運動の取り組みを報道する「東友」88号(1987年7月20日発行)
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