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【連載】東友会の歴史を学ぶ 先人たちと目指す未来2

『沈黙から行動へ 東京のヒバクシャ30年のあゆみ』から
「地区の被爆者運動30年の苦労と前進」(田川時彦執筆)

地区の被爆者運動30年の苦労と前進10

ひとりの被爆者の死

 1987年の「11月大行動」では、東友会はニュース速報を発行。東京の情報活動は、他府県の被爆者にも喜ばれました。
  この年の春から始まった大運動に、下町地区の会の事務局長だった堤久吉さんは、会員の戸別訪問をくり返し、毎年夏、会でおこなう原爆犠牲者追悼式の準備、そして他団体への訴えと息つく間もないぐらいに走り回っていました。
 ところが、7月12日、他の被爆者とともに病院で健診を受け、その後頼まれていた団体に出かけ被爆の体験を語り始めて10分もしないうち、とつぜん脳出血で倒れてしまいました。すぐ病院にかつぎこまれはしたものの、そのまま7月28日、あの世に旅立ってしまいました。享年50歳、被爆者の中では若手で期待されていた人でした。
 わたしたちは、これまでも多くの被爆者の死と接してきましたが、行動中に倒れて亡くなった人はいなかっただけに、ともに活動をつづけてきた者には衝撃も大きく、悔やんでも悔やみきれない思いでいっぱいでした。

  • 国会請願に参加できない人には、要求を聞いてあげて、それをわたしが代わりに訴えてきました。行動が終わったら、また訪問して結果を知らせてあげました。

 このような堤さんたちの誠意のこもった地区活動は、ひとたび声をかけると、みんな精いっぱいの行動でこたえました。「11月大行動」は、堤さんの弔いのたたかいだと、都内一の動員数で行動に参加をしました。

  • 「堤さんのおかげで健康管理手当をもらえるようになりました。日曜日には『おばあちゃん、元気?』といつも訪ねて来てくれました。堤さんは、人の心を体で教えてくれたんです。あの人の遺志を大切にせにゃならんと思って、カンパも送るんです」(女性・80歳『堤さんを偲ぶ』から)

 11月9日から5日間の参加被爆者は、30地区574人。地区からの参加支援者も323人にのぼり、合計897人にのぼりました。
 東京の被爆者が、これほど主体的に大勢がたち上がり、しかも組織的に行動したことは、かつてないことでした。 長年にわたる地区の会の努力が被爆者を結束させ、それを周りから力強く支援してくれる平和団体、労組、市民の努力のあったことを忘れることはできません。

たすきを掛け、旗を持つなどして歩く被爆者たち。背景に国会議事堂が写っている。
1987年11月の大行動で、国会議事堂を背景に行進する東友会の隊列。
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