【連載】東友会の歴史を学ぶ 先人たちと目指す未来2
『沈黙から行動へ 東京のヒバクシャ30年のあゆみ』から
「地区の被爆者運動30年の苦労と前進」(田川時彦執筆)
地区の被爆者運動30年の苦労と前進8
1981(昭和56)年7月に呼びかけられた「原爆を裁く国民法廷」運動は、東京都内だけでも、武蔵野・三鷹法廷、上野音楽堂での法廷、新宿法廷、世田谷法廷、千代田法廷、杉並法廷、文京法廷、北多摩西支部法廷、豊島法廷、板橋法廷、練馬法廷、江戸川法廷とつづきました。このほかにも小法廷は数多く、東大や一橋大などの学園法廷も多くもたれ、いずれも感動的に成功させました。
- 大つぶの涙がこぼれて、まわりが暗いからよかったものの、これまでも幾人かの被爆者の話を聞いてきたが、これほど感動した(いや、こんな言葉では言いつくせない)ことはなかった。このような感動を受けることは人生において数少ないであろう。(『原爆を裁く』東友会編から)
- アメリカの原爆投下の非人道性、国の戦争責任は完膚なきまでに論証された。被爆者の証言は肺腑を抉り、感動の涙をさそった。(同前)
この法廷運動の成功で、被爆者の体験と証言は核兵器廃絶の運動にも位置づけられ、数多くの集会、職場、学園から体験を語ってほしいとの要請がつづくようになりました。苦しい被爆の体験だけに、戦後長く口を閉ざしてきた被爆者も、人びとのため平和のために貢献できることを知らされ、こんどはすすんで語り訴えるようになりました。
地区の会の活性化と再建
地区の会は、1982(昭和57)年に狛江・狛友会(4月再建)、多摩やまばと会(9月)、1983(昭和58)年に江東・江友会(4月再建)、墨田折鶴会(7月再建)、1984(昭和59)年に大田・大友会(4月再建)、昭島しあわせ会(5月再建)、千代田乃会(6月再建)、1985(昭和60)年に町田・町友会(2月再建)、1986(昭和61)年に日野・日友会(3月再建)、港・港友会(4月再建)と続いて組織されてきました。
