【連載】東友会の歴史を学ぶ 先人たちと目指す未来2
『沈黙から行動へ 東京のヒバクシャ30年のあゆみ』から
「地区の被爆者運動30年の苦労と前進」(田川時彦執筆)
地区の被爆者運動30年の苦労と前進9
被爆者調査をふまえた1987年11月の大行動
1985(昭和60)年、政府は初めて原爆死没者を含む被爆者の調査を実施しました。そして、日本被団協は、政府の調査では明らかにならないとみた被爆者の苦しみについて調査を発表しました。そして、1987(昭和62)年の春から、「被爆者調査をふまえ、核兵器廃絶と原爆被害者援護法の即時制定をせまる大運動」を全国で展開しました。同年11月には、5日間にわたる中央大行動を組み、すわりこみや折り鶴でつなぐ「人間の輪」で厚生省(当時)をとり囲むといった30年の運動史にもかつてない大行動となりました。
東京各地区の会は、全国の期待にもこたえて、何度も学習会を開き、大行動への参加の自覚と決意を高めていきました。同時に、役員は手分けをしながら、連日諸団体へ支持協力の要請をして回りました。何人もの会長は、直筆の手紙を会員に発送し参加を訴え、毎晩のように電話を入れて確認をとっていきました。下町の地区では、世話人が手分けして会員宅の訪問をくり返しました。折り鶴で人びとの心をつなぐ運動は、さまざまなアイデアを生み効果をあげました。
- 大行動成功の鍵となったのは、地区の会も東友会も実施した学習会じゃないのかな。調査の結果から被爆者の要求の正しさを学び、何のための大行動かよく分かった。
- 会員へ訴える手紙のなかに、折り鶴を同封、折り鶴に要求を書いて届けてもらう工夫、160もの折り鶴が返ってきました。
- 「わたしのような者が、首相に手紙を書くなんて」――体の不自由な被爆者でも参加できる運動をと東友会が訴えた「首相への被爆者の手紙」を書くため、何度も相談電話があった78歳の被爆者の声。
- 行動に参加できない病気の被爆者でも、これならできると、署名とカンパ活動に必死でとり組んだ地区、またたくまに9万円以上のカンパと500人分の署名が届けられました。
- 「テレビで見ました。じっとしていられません。どこへ行けばいいですか」――白血病で被爆者の夫を亡くされた奥さんからは、「わたしが夫に代わって訴えに行きます」などの電話もありました。
- 「生まれて初めてデモに参加して、にぎりこぶしを振り上げたら、援護法をつくらぬ政府に腹が立って腹が立って――」
- 「生きているうちには絶対できないと思っていた核兵器廃絶ができそうになって、元気がでてきた」――INF(中距離核戦力)全廃を喜ぶ84歳の被爆者、連日の行動に参加。