被爆者相談所および法人事務所
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【連載】 現場から見る東友会相談所の40年
相談員 村田未知子

第12回 原爆症認定制度の抜本改善へ

東友会あげて集団訴訟に

 2002年7月からは裁判を前提にした集団申請がはじまり、都庁への申請がマスコミに大きくとりあげられましたが、やはり国・厚生労働省の門戸は狭く、多くが却下されました。
 2003年5月27日、17人の東京の被爆者が、原爆症認定申請の却下処分の取り消しを求めて東京地裁に提訴しました。
 東友会は訴訟運動を広げるための取り組みをすすめました。例えば、東友会と地区の会が開いた「相談会」は、裁判によって厚労省の基準が大幅に広がる前の2007年度末までの6年間で153回、参加者数は4085人、東京の被爆者の半数に匹敵する人数にのぼりました。
 こうした活動のなかで東京の原告は82人になりました。これは全国の原告306人の27パーセントで、広島・長崎の原告団を超える最大規模になりました。しかも、原告の半数以上が地区の会のよびかけで訴訟に参加した被爆者でした。
 市民団体や都民からの支援も広がりました。東京地裁で一番広い103号法廷のバーの中の原告席には補助椅子が入り、40人ほどの弁護団と原告団でぎっしり。96席ある傍聴席も被爆者と支援者でいつも満員になりました。裁判の傍聴は「立ち見」ができません。傍聴者があふれた場合は、入場者の入れ替えや整理を東友会が担当し、裁判所の職員にも感謝されました。

集団訴訟原告の奮闘

 原告になった被爆者の法廷での訴えはどれも、裁判官と傍聴者の心を打ちました。
 被爆時の記憶に苦しみ、精神を病み仕事を転々と変え孤独な生活を続けた加藤力男さん(申請:胃がん、長崎2.0キロ被爆)、制がん剤の副作用で髪が抜け落ちた頭を帽子で隠して証言した関口智惠子さん(申請:卵巣がん、広島2.4キロ被爆)、がんが全身に転移し痩せ衰えた身体をさらして車椅子で出廷した齋藤泰子さん(申請:大腸がん、広島8月11日入市被爆)の姿、亡くなった小西アカネさん(申請:肝臓がん、広島5キロ被爆)の訴訟を承継した実妹・田崎アイ子さんは、点滴を受けながら裁判の傍聴、厚生労働省前の行動などに欠かさず参加し訴えました(いずれも故人)。
 「私たちはお金がほしいのではありません。原爆被害をくり返させないために、原爆被害の深刻さと被爆者として生きた苦しみを国が認め、きちんと償いをしてほしいのです」
 集団訴訟運動のなかで、東京訴訟原告82人のうち91パーセントの75人が勝訴、または裁判の最中に認定されました。

たすきを掛けた被爆者が1人、演台に立ってマイクを使って話をしている。演台に連ねて並べられた長机に、たすきを掛けた集団訴訟の原告たちが着席している。その後ろに弁護士たちが着席している。弁護士の頭上、壁には「原爆症認定集団訴訟の勝利をめざす東京のつどい」と大きく書かれた横幕が下げられている。
東京地裁への初提訴のあと、報告集会にのぞむ原告団と弁護団(2003年5月27日)