【連載】 現場から見る東友会相談所の40年
相談員 村田未知子
第9回 特別葬祭給付金への反響
1995年7月から施行された「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)は、諸手当の所得制限を撤廃し、初めて原爆死没者に目を向けたとする「特別葬祭給付金」の支給が盛り込まれました。これは、2年間という期間内に申請すれば、10万円の国債が支給される施策でした。
東京の受給率41%は広島・長崎より高率
1995年6月29日、東友会に電話が集中しました。「特別葬祭給付金」の説明を東京都が都内の被爆者に郵送した直後でした。相談件数はこの日1日で131件。7月だけで2066件、前年の3倍になりました。
都内各区市の被爆者地区の会の相談会も、例年の3倍以上になりました。地区の会は工夫をこらして参加者を増やそうと努力しました。「集団健診のときなら集まる人が多いから」、「うちは中心になるところがないので電車の沿線別に3回開きたい」、「全員に電話をかけて、体の悪い人にも来てほしいから車を回して集まってもらう」などなど、私たち相談員は意気揚々と参加しました。
最終的に、1995年度に開かれた地区相談会は46回。参加者は1323人にもなりました。この東友会と地区の会の大奮闘の結果、2年間と定められた「特別葬祭給付金」の申請期間に、東京の被爆者4012人が受給。受給率41パーセントは、広島・長崎両市より高率になりました。
「命の重さが違うのか」割り切れない思いも
しかし、国が国家補償を拒否したため「特別葬祭給付金」は生存被爆者対策として位置づけられ、支給対象は被爆者手帳を持っている遺族に限られたのです。
たとえば、死没者は1人でも、遺族である生存被爆者が5人いれば、5人が10万円ずつ支給対象となります。一方、5人の家族が亡くなっていても、遺族である生存被爆者が1人ならその人が10万円支給されるだけでした。さらに、一家が全滅していても被爆者手帳を所持していない学童疎開児童、復員兵などは対象から除外されたのです。「家族の合計が70万円になるので仏壇を買います」という声があった半面、「家族6人が家の下敷きになって死にました。それでも1人分なんて。命の重さが違うのですか」という声が寄せられました。
全国的にも「特別葬祭給付金」への批判の声が寄せられましたが、国は、「被爆者である苦しみと遺族であるという苦しみ、二重の苦しみを受けた方に支給している」と回答し、いっそう被爆者と遺族の怒りを買ったのでした。