被爆者相談所および法人事務所
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【連載】 現場から見る東友会相談所の40年
相談員 村田未知子

第11回 制度の抜本改善を求める転機に

男性相談員が増えた

 2000年当時、年間1万件を越える相談に対応していた私たち相談員は、残業や休日出勤が常態化していました。そこに介護保険制度が導入されたため、高齢化が進んでいた被爆者や家族からの相談が増えることが予想されました。
 そのため東友会は、介護問題にも対応できる相談員をさがし、1999年3月から初めての男性相談員が勤務しました。診療所の事務長を長年勤めてきた大ベテランの「新人」相談員が参加して、年間1万3000件以上に増えた相談に対応できるようになりました。
 一方、被爆者の「介護手当」の申請は、介護保険制度によって大きく変わりました。介護保険のサービスを受けている時間と介護人が時間が重なっていると請求できないため、毎月申請する「一般(他人)介護手当」の領収証のチェックが膨大な作業になりました。さらに東友会を経由して東京都に月々申請する被爆者が50人以上に増えました。
 そんなとき、病院の医療相談員としての経歴があり、ケアマネジャーの資格を持つ的早克真さんが東友会に勤めることになりました。病院でも被爆者の相談に対応していただけに、初日からテキパキと仕事をこなしました。しかし女性の相談員は私一人になってしまいました。

原爆症認定集団訴訟へ

 「1.5キロで被爆しているのに胃がんを原爆症と認めないなんて。屋外なら大やけどする場所なのに」「こんな原爆症認定制度を被害の実態にみあった制度に変えよう」「原爆放射線の被害を国にきちんと認めさせることは核兵器廃絶に繋がる」。
 長崎の松谷訴訟からはじまり、京都の小西訴訟、東京の東訴訟と拡がった原爆症認定訴訟の運動がさらに全国に拡がるなかで、東友会でもこのような声が強まりました。このころの原爆症認定制度は、原爆被害を狭く小さくみる国の姿勢により、いまよりもっと「狭き門」で、在外被爆者から東友会に相談が寄せられたこともありました。
 日本被団協は弁護団の依頼を受けて、2001年10月に全国で集団訴訟を起こすことを提起。そのための集団申請運動が2002年1月から1年間取り組まれました。
 東友会もこの運動の積極的に参加。地区の会を訪ねて集団申請への参加を呼びかけ、2002年1月から2003年3月だけで全国で496人、東京ではその1割にあたる48人が申請しました。
 この集団申請は、地区の会が相談員を招いて説明会を開催し、2年間だけで50回、参加被爆者が1658人にのぼる大きな運動になりました。

立って説明している人の話を、参加者が並べられた机に座って聴いている。
多くの地区で開かれた集団訴訟説明会のひとつ(2003年5月31日、武蔵野市)