? 原爆症認定集団訴訟


原爆症認定集団訴訟とは

 2001年8月。京都原爆訴訟の弁護団を担当された弁護士が、「私は13年間という、私の弁護士人生のなかでたいへんに長い期間をかけて、たった一人の被爆者しか救えなかった。こんなことを続けていたら、被爆者はみんな死に絶えてしまう」と発言されました。この呼びかけを受けて、全国の被爆者が、「核兵器を容認する国の姿勢の根本とかかわる核兵器被害の過小評価を許さない」と、「原爆症」認定集団申請・提訴の運動に立ち上がりました。

 全国各地の法廷で国は敗訴を続け、国側の主張が成り立たないことが証明されていきました。何年も続く裁判の中、何十人もの原告が、判決を見ることなく亡くなりました。
 2009年8月6日の広島市平和祈念式典の直後、広島で原爆症集団訴訟についての「確認書」が、日本被団協代表と麻生太郎総理大臣(当時)との間で交わされまし た。これを受けて首相官邸では、河村官房長官(当時)が「談話」を発表。これらは集団訴訟の一括解決と原告全員の救済への政府の決断と、裁判長期化への陳謝、核兵 器廃絶についての政府見解を盛り込んだ文書です。
一方、日本被団協と全国原告団、全国弁護団は共同で、この決断と見解を歓迎する「声明」を発表。ここまで政府を追い込んだ広範な国民の支援に感謝し、「確認書」で示された「道筋」にしたがって、残された課題の全面解決に力をつくす決意を明らかにしました。

 原爆症認定集団訴訟は、このとき続いていた法廷での審理がすべて終わった時点で「終結」しました。しかし、「確認書」にあった大臣との定期協議は数えるほどしか開催されず、3年間もの年月を費やし、2013年12月に出された国の「原爆症認定制度の在り方検討会」の結論も、その結論を受けて改訂された新しい審査規準も、被爆の実態にそった裁判所の判断を取り入れようとはしませんでした。
 被爆者たちは、やむなく、重病と闘いながら「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」に立ち上がり、裁判を続けています。原爆被害を狭く、小さく、軽く見る国の方針を変え、放射性降下物や残留放射線の影響をおおやけに認めさせ、核兵器の被害の実態を明らかにさせたいと願うからです。