被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定集団訴訟 東京第1次訴訟原告の紹介

提訴第1陣・17名

加藤力男さん
加藤力男さん
 申請病名:胃ガン。男性・当時20歳。 集団訴訟東京原告団団長。
 長崎市高砂町・中之島の高射砲陣地、2キロで直接被爆。衣類に着火。首、顔に火傷。火傷で頭が腫れ上がり目がふさがれる。12日間意識不明。火傷の治癒に9カ月。倦怠感は8月末まで。脱毛、発熱、嘔吐、下痢が5カ月つづく。その後も断続的な下痢、発熱、頭痛。
 1948年5月から高熱、頭痛、めまい続く。2002年1月胃ガン手術。
 2005年8月17日、「7月30日に亡くなられた」という連絡が、小平市の被爆者の会・小友会から東友会に届きました。加藤さんは独り暮らしでした。弁護団と東友会で詳細を調べていますが、救急車で運ばれたことしかわかっていません。
梅園義胤さん
梅園義胤さん
 申請病名:左腎臓ガン・肺転移。男性・当時5歳。 集団訴訟東京原告団副団長。
 広島市白島九軒町の自宅の庭、2キロで直接被爆。翌日、安佐郡へ避難。本人が被爆時は幼少のため急性症状は不明。
 1946年8月に虫垂炎が腹膜にまで広がり、化膿しやすい体質と言われる。疲労感に悩む。1997年9月腎臓ガン手術。左腎臓摘出。インターフェロンの自己注射を継続。
大森克剛さん
大森克剛さん
 申請病名:大腸・胃多重ガン。男性・当時14歳。 集団訴訟東京原告団副団長。
 8月7日、江田島の自宅から、広島駅を経由し、大正橋付近の学徒動員先に向う。その後、千田町の母校に向かう途中の福屋デパート付近で意識が朦朧となり帰宅。嘔吐あり。歯茎からの出血は1999年まで続く。
 2000年12月に直腸ガン、2001年12月に胃ガン手術。重複ガン。
高木留男さん
 申請病名:左腎ガン・男性・当時26歳。
 広島市白島中町工兵隊の兵舎、1.8キロで直接被爆。左後頭部と背中に外傷。1カ月間野宿しながら救援作業に従事。11月まで市内に在住。耳鳴り、下痢、発熱、傷の化膿が翌年まで。常時、耳鳴り、めまいに苦しむ。原因不明の高熱4、5日続く。白血球2,300のときあり。低血圧。強度の貧血。
 1999年3月腎臓ガン手術・左腎臓を切除。
 2008年6月18日、死去。白血病でなくなった奥さんの遺影を持って、異議申し立ての口頭審査にのぞまれ、集団提訴にも参加されましたが、一度も裁判の法廷に立つことはできませんでした。 2008年4月7日には、新しい認定審査基準による審査で原爆症と認定されていました。
森川靖夫さん
 申請病名:大腸ガン。男性・当時14歳。
 広島市観音本町の広島二中の校舎内、1.7キロで直接被爆。校舎の下敷きになり、全身に負傷。黒い雨を多量に受けながら、自宅に戻る。申請者を学校まで送ってきて校庭で被爆した母は、ヤケドのため自宅に戻った後に死亡。歯茎からの出血3カ月。
 2000年3月に直腸ガン手術後、傷の回復に2カ月かかる。
 2003年12月、原爆症認定却下にたいして森川さんが行っていた異議申し立てが認められ、大腸ガンが原爆症と認定されました。これにともない、森川さんは提訴を取り下げました。弁護団は法廷での提訴取り下げの申し立てのなかで、審査のずさんさが明らかになったとのべました。
林太荘さん
 申請病名:前立腺ガン。男性・当時17歳。
 広島市千田町・広電前電停付近の市電の車内、2キロで直接被爆。ガラス片で右手に負傷。全身打撲。当日夕方、郊外の自宅に避難。翌日、中心地を迂回して救援のため入市。20日頃まで連日救援に従事。倦怠感、脱毛、食欲不振がつづく。
 2000年10月に前立腺ガン発見。ホルモン療法の効果なく認定申請提出後、茨城県に転居し、その後2001年10月に手術。
岡川精子さん
 申請病名:大腸ガン。女性・当時20歳。
 広島市皆実町3丁目の自宅の室内、2.5キロで直接被爆。負傷しなかったので、当日午後、弟の捜索のため御幸橋付近まで立ち入る。翌日も捜索のため日赤病院付近まで立ち入る。
 2000年10月に大腸ガンの手術をした後、傷が回復せず。2001年1月小腸に穴があいたため再手術。手術後5カ月も入院。
大塚靖博さん
 申請病名:肝細胞ガン(非ウイルス性)。男性・当時13歳。
 当日、竹の久保2丁目、爆心地から1キロの自宅に戻る。自宅にいた父は翌日死亡。1週間、野宿して自宅周辺で救援、捜索。歯茎からの出血12月まで。視力低下。
 1992年に脳梗塞。1996年11月に食道ガン手術。食道ガンと非ウイルス性肝細胞ガンの重複ガン。2001年8月に肝動脈塞栓手術。
 2003年9月25日、ガンにより死去。防空壕内にいた父の変わり果てた姿に気づかず、3回目に防空壕に入ったとき、父から声をかけられて初めて気づいたことに、生涯、悔やまれていました。
竹内勇さん
 申請病名:前立腺ガン。男性・当時26歳。
 広島郊外の鯛尾で当日から1カ月、救援に従事。8月8日と9日は中心地にて捜索。9月から異様な倦怠感。1945年11月に東大病院の検査で白血球が2万4000あり入院をすすめられた。
 1948年には都立大久保病院の検査で白血球が1500に。前立腺ガンはホルモン療法。切迫性失禁あり。
関口智恵子さん
 申請病名:卵巣ガン。女性・当時12歳。
 広島市観音町の第二国民学校校舎内、2.4キロで直接被爆。頭部に外傷。黒い雨を多量に受ける。8日から15日まで市内に野宿しながら家族を捜索。一家は全滅。一人だけ生存し孤児に。重度の倦怠感あり。
 2001年11月部位不明ガンで化学療法開始。2002年2月卵巣ガンの確定診断。以後化学療法継続。
 2005年8月13日、卵巣ガンにより死去。
「裁判所は帽子をかぶっていて大丈夫ですか」と相談員に聞いた関口さん。原告席の関口さんは、制ガン剤のために頭髪が抜けた頭を帽子で隠していました。病状が重いために、弁護団が入院先での尋問を準備していました。
西本照雄さん
 申請病名:胃重複ガン・直腸ガン。男性・当時16歳。
 長崎市飽ノ浦、三菱造船の遂道内、3.2キロで直接被爆。外傷や火傷なし。当日、2キロ付近にあった稲佐橋を渡って寮に避難。18日に爆心地を通過して帰郷。
 1977年十二指腸潰瘍。1994年2月大腸ガン手術。2001年9月胃高分化腺ガンをファイバーで切除。2001年12月胃未分化腺ガン手術。胃重複ガン。
齊藤泰子さん
 申請病名:大腸ガン。女性・当時4歳。
 8月11日に矢賀から1.4キロ地点の比治山町の自宅跡まで徒歩で入市。16日まで自宅跡にとどまり生活。9月から下痢、発熱が2年間続く。高熱で一時危篤に。被爆により下痢、発熱しやすい体質に変わる。
 2001年2月大腸ガンを手術。再発のため2002年5月再手術。2003年5月転移があり化学療法と放射線治療中。
 2007年2月3日、大腸ガン肺転移により死去。提訴後の記者会見で「原告のなかで一番若い私が、みなさんを支えなければ」と話していました。2006年7月12日の最終陳述には病身をおして車イスで法廷の証言台に立ちました。
吉田忠さん
 申請病名:原発性肝ガン(C型)。男性・当時15歳。
 長崎市平戸小屋町、三菱電機工場内、2.5キロで直接被爆。頭・首に負傷。左下腿に重傷。10日間、被爆場所で救援作業。下痢、発熱、嘔吐、歯茎出血、倦怠感があり、傷の化膿が1年間つづく。
 1952年虫垂炎の手術で腸が癒着し3回も手術。1998年C型肝炎。2001年8月、肝臓をガン手術。
 2006年4月22日、肝細胞ガンにより死去。
 2002年7月に行われた「学習と申請のつどい」で、「あの地獄から57年間、放射線への不安のなかで生きてきて、ついにガンにかかった。この被爆者の苦しみをわかってほしい。あの地獄を繰り返させないためにも、裁判に参加する」と語って大きな拍手を受けていました。
右近行洋さん
 申請病名:悪性リンパ腫・脳腫瘍。男性・当時4歳。
 広島市二葉の里、母の実家であった寺院、1.7キロで直接被爆。吹き飛ばされ額に軽傷。焼け跡に仮小屋を建て、その後1963年まで被爆地で生活。
 1999年9月悪性リンパ腫と診断され化学療法、放射線治療を継続。2002年4月リンパ腫が脳にも発見され、2003年5月、激しい頭痛のため救急車で入院。
 2003年7月11日、悪性リンパ腫により死去。
「裁判官にどうしても聞いてもらいたいことがある」と、病室に直接裁判官にきてもらい証言する「証拠保全」の手続きを申請。認められたときには、右近さんはすでに昏睡状態で、実現されませんでした。
赤井啓三さん
 申請病名:食道・下咽頭重複ガン。男性・当時25歳。
 広島市仁保町・船舶教導聯隊6中隊の兵舎内、4キロで直接被爆。当日から10月まで京橋川南東地域で救援活動。中心地にも立ち入る。傷の化膿、紫斑、血性下痢、歯茎からの出血。
 1990年結腸ガン手術。2000年10月食道ガン手術、2002年2月下咽頭ガンの放射線治療継続。主治医「異時多重ガン」と診断。
山本英典さん
 申請病名:胃ガン。男性・当時12歳。
 長崎市本河内町の自宅の庭、4.2キロで直接被爆。灰と黒い雨を多量に受ける。当日午後3キロ地点まで立ち入る。0.6キロで被爆し、急性症状のため生死の境にあった兄を半年看護。1951年まで被爆地に在住。
 1949年に肋膜炎・肺浸潤。1995年原因不明の大量下血にて入院。2002年8月胃腺ガンをファイバーにて切除。
福地義直さん
 申請病名:肝硬変(C型)。男性・当時14歳。
 広島市国泰寺町0.8キロの自宅内で直接被爆。自宅の下敷きになり、顔と足に負傷。当日、中心地をさまよいながら避難。翌日から発熱、嘔吐。15日頃から脱毛。傷の化膿し治癒に4カ月以上かかる。身体が回復せず1年間休学。
 1953年から1年間原因不明の発熱。1993年から肝機能悪化。インターフェロン治療継続中。
 2005年12月11日に肝臓ガンの進行による食道静脈瘤破裂のため死去。2004年8月に肝臓ガンが発見された後も、裁判傍聴や厚生労働省への要請などに積極的に参加。自宅に私設の原爆展会場をつくり、被害の実相を伝えていました。
高橋啓介さん
 申請病名:胃ガン。男性・当時20歳。
 広島市宇品町、船舶気象教育隊、直爆3キロ。遮蔽有・屋外。黒い煤、雨多量。当日から7日まで2キロ地点で救援。医師の所見:早期胃癌病巣が被爆が原因で発症したものかどうかは不明。
原告予定者。2003年5月23日、提訴直前に亡くなられました。

第2陣・4名

中山勇栄さん
 申請病名:頸部有痛性瘢痕。女性・当時14歳。
 長崎市目覚町三菱病院分院、1キロで直接被爆。建物の下敷きになり後半身にガラス片や木片が突き刺さる。トラックで運ばれ浦上駅前の防空壕で5日間寝かされる。高熱が続き、紫斑、脱毛、歯茎出血など。
 流産2回、死産2回。
西本治子さん
 申請病名:甲状腺機能低下症。女性・当時7歳。
 長崎市大浦町・オランダ坂付近、3.8キロで直接被爆。直後に防空壕に入るも、8月10日から2から3日、中心部で肉親捜索。外傷がなかった両手が化膿し使えない状態に。両腕に黄色の丘疹が続々出現。
 戦後ずっと白血球減少がつづく。
河合正江さん
 申請病名:肝硬変・肝腫瘍(C型)。女性・当時19歳。
 広島市宇品町・船舶司令部、4キロで直接被爆。当夜から救援活動。翌日から9日間、中心地で家族の捜索。血性下痢、高熱、嘔吐、歯茎出血、紫斑など。
 1955年から貧血のため輸血治療。1977年から肝機能障害。
 2005年7月27日、肝臓ガンにより死去。
 2005年4月の原告本人尋問で、りんとした声で国側の反対尋問に答えた姿が、傍聴者の感動を呼びました。
要石謙次さん
 申請病名:胃ガン。男性・当時20歳。
 広島入市被爆。原爆投下時、佐伯郡大竹・大竹海兵団潜水学校校庭で右顔面に熱線を受ける。8月19日、横川駅付近から広島駅まで徒歩移動。同駅に泊まる。熱線を受けた右顔面の皮膚が裂け、化膿。発熱、吐き気、紫斑あり。

第3陣・6名

片山文枝さん
 申請病名:悪性黒色腫。女性・当時20歳。
 広島市東観音町・直爆1.1キロ。遮蔽有・屋外。当日、観音町から横川、古市まで避難。8日白島町で入市。血便、脱毛、耳鳴りが継続。
 1947年高熱、下痢、口の中に腫れもの。1952年頃、視力が急激に低下。40歳で総入れ歯。2002年広島で悪性黒色腫の手術、その後、東京の国立がんセンターで治療 意義申立後、2003年10月広島市から転入。
久保玉子さん
 申請病名:肺ガン。女性・当時18歳。
 広島市千田町・直爆1.7キロ。遮蔽有・屋内。家屋の下敷き。失神。火傷、外傷なし。3日後に中心地で捜索。1948年まで市内の自宅で生活。脱毛8月末から著明。9月から発熱、下痢。
 1960年から5年間、年に一度10日間程度、原因不明の高熱。糖尿病、心不全・心房細動で治療継続。2001年1月肺ガン発見。肺気腫もあり呼吸困難の状態が続く。
平井園子さん
 申請病名:子宮体部ガン。女性・当時8歳。
 広島市牛田町本土区・安楽寺・直爆2.2キロ。遮蔽有・屋外(入口)。建物下敷き。ガラスで右頭部、右顔面、右頸部に深い負傷。全身に打撲傷。黒い雨受ける。発熱。歯齦出血と倦怠感が長期に続く。傷の回復の遅れと被爆の恐怖感で1年間休学。1946年3月ガラス片摘出手術。
 火に追われて逃げる夢を見るとしばらく具合が悪い。精神的動揺が激しい。うつ傾向がひどい。2001年4月子宮体部ガン手術。C型肝炎・肝硬変の治療中。
 2008年9月6日、出血性胃潰瘍のため死去。享年70歳。2007年の東京地裁判決では子宮体ガンのみ認容され、C型肝炎・肝硬変について司法判断はありませんで した。2008年4月「新しい審査の方針」による審査の第1号で子宮体ガンが認定された後も、肝硬変のため病床に伏す生活が続いていました。
元川末清さん
 申請病名:肺ガン。男性・当時8歳。
 長崎小江原郷・直爆2.6キロ。遮蔽有・屋外の樹上。爆風で100メートル飛ばされる。火傷・外傷なし。幼少のため不鮮明。発熱があり、1945年末まで寝込んでいたこと、とくに11月頃まで高熱が続き、気管支ぜんそくで肺炎を起こしているとの診断。ぜんそくのため小学校は休みがち。
 1998年、左大腿部の腫瘍を手術。2000年肺ガンが発見され9月に手術。
吉澤純一さん
 申請病名:前立腺ガン。男性・当時17歳。
 広島市千田町3丁目・広島工業専門学校内・2.0キロ。遮蔽有・屋内。ガラスで負傷、腰部打撲。7日似島から中島町、天神町に入市。8月下旬から中島本町の自宅跡にバラックを建てて生活。宇品から似島に収容される。ガラス片の出血止まらず。血性下痢1945年9月から1946年1月まで。
 2000年12月前立腺ガンが発見され、2001年から放射線療法。
渡部愛子さん
 申請病名:甲状腺機能低下症。女性・当時22歳。
 長崎市稲佐町3丁目・直爆2.0キロ。遮蔽有・屋内。閃光で左目失明。7日間、近所の防空壕に避難して生活。1カ月後四国に向かう。夫・養父が被爆死したあと四国で9月22日男児を出産。このため急性症状の記憶なし。
 1946年歯茎出血。1958年ケロイド手術したとき甲状腺機能低下と診断される。1989年脾臓の悪性リンパ腫で手術。この間、胃潰瘍の手術を受け、子宮筋腫、関節リウマチ、慢性膵炎、C型肝炎の治療を受ける。2001年下顎下腺腫の手術。甲状腺機能低下のため治療を継続。

第4陣・2名

早田シマ子さん
 申請病名:胃ガン。女性・当時20歳。
 長崎市片淵町・直爆2.5キロ。遮蔽有・屋内。ガラス片で全身に負傷。紫斑。軽度のものは今も続く。ガラス片で受けた傷が半月ほど化膿。一緒に被爆した妹にも紫斑が。
 1945年肋膜炎。1951年に流産。1953年7カ月の早産の子ども数時間で死亡。1955年、1958年にも早産。1958年から3年間、原因不明の喉の出血。2002年10月胃ガン手術。
 2004年7月28日、胃ガンの転移により死去。
早田さんは、長崎市片淵町で被爆した体験を、教師である娘に励まされながら、八王子市内の学校で積極的に証言していました。
新田朗さん
 申請病名:胃ガン。男性・当時13歳。
 手帳記載:長崎入市8月9日から16日山里町入市、実際の被爆:長崎市中之島・直爆2.0キロ。遮蔽無・屋外。当日爆心地周辺に入市などは手帳記載と同じ。一家全滅で孤児に。1945年9月から1年間下痢、脱毛は1948年年末まで続く。入市で受けた火傷の化膿1年くらい続く。
 2002年11月胃ガン手術。

第5陣・2名

小西アカネさん
 申請病名:肝細胞ガン(B型)。女性・当時14歳。
 広島市草津南町・直爆4.1キロ
 肝動脈閉塞手術を続けるが次々再発。7回も手術。
 2005年6月26日、肝細胞ガンにより死去。2004年には病院で裁判所による尋問を受けました。7回も肝臓の手術を受け入退院をくり返していた小西さんは、法廷の原告席に座ることができませんでした。
須田芳子さん
 申請病名:甲状腺濾胞(ろほう)ガン。女性・当時20歳。
 8月11日から18日に爆心地付近入市
 1994年3月甲状腺ガン手術。1996年2月甲状腺ガンの肺転移が発見され、以後肺の手術2回。放射線治療継続中。
 2006年11月18日、甲状腺濾胞ガンの転移による肺ガンにより死去。「勝利の判決を聞きに行きたい」と言っていた須田さんの願いはかないませんでした。