被爆者相談所および法人事務所
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【連載】 現場から見る東友会相談所の40年
相談員 村田未知子

第7回 調査で深まる相談活動

 東友会相談所が受けた年間の相談件数の記録が1979年度の分から残っています。この記録をみると、年間1000件以上増えた年が10回あります。増えた年にはそれぞれ運動の高揚や制度の大きな改正がありました。
 最初が1985年度でした。この年、東友会は全国の被爆者とともに「原爆被害者調査」にとりくみました。日本被団協からの要請数は1000人分でしたが、東友会があつめた調査には39区市町に住む被爆者1359人が参加し、被爆者を訪問して聞き取りをする調査員として134人の非被爆者を含む312人が活躍しました。当時の東京在住被爆者の1割以上を訪問して調査したこの運動は相談活動を強化しました。
 東友会には、毎日のように調査員から電話が入りました。「手当を受けていない人です。電話してください」「訪問したら相談されたのですが、東友会で受けてくださいますか」……。この年の相談件数は、前年度から130パーセントの増加。相談件数の増加率としては、被爆者援護法が施行された1995年度と介護保険法が施行された2000年度につぐものになりました。
 調査の自由記載欄に書かれた被爆者の思いです。

  • 多くの方がたが「殺してください」「兵隊さんお水」の声。特攻隊員として、こんな苦しみを受けるくらいなら、爆雷を抱いて死んでいく我々は、どんなに楽かと思ったものだ。(広島被爆・当時24歳・男性)
  • 家族全員を失い、親戚の家に転々とあずけられて大きくなった。ひもじくて、畑の野菜を引き抜いて生で食べた。何もいいことはなかった。(長崎被爆・当時5歳・男性)
  • 火事が近くて母を助けられなかった。後ろ髪ひかれる思いで何度も何度も振り返りながら「ごめんなさい。親不孝を許してください」と手を合わせて逃げた辛さは、思い出すたびに涙が出て、一生忘れることができません。(広島被爆・当時21歳・女性)
  • 結婚した後、被爆者だとは知らなかったと責められた。結局は離婚しました。働けなくなったら自殺します。(長崎被爆・当時15歳・男性)

援護法制定運動の高揚

 被爆者調査を土台にした1000万人を目標とした国会請願署名、自治体の意見書採択、国会議員の賛同署名を「3点セット」と位置づけた国家補償の被爆者援護法制定運動は、80年代後半から、日本被団協のリードによって全国の被爆者団体が参加し、市民・平和団体が参加する大きな高揚を迎えていました。

1985年の「原爆被害者調査」をまとめた4分冊の報告書。詳細な被爆の実情が明らかに。