被爆者相談所および法人事務所
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【連載】東京にある被爆の実相 (6)原爆死没者慰霊碑

 品川・東海寺にある「原爆死没者慰霊碑」は、今は石碑ですが、最初は木碑でした。場所も、東海寺の山の墓所で、沢庵禅師のお墓に隣接した林の中でした。木碑の前で第1回慰霊祭が行われたのは1966(昭和41)年8月6日でした。
 石碑に替わったのは1968(昭和43)年8月でした。碑前で第3回慰霊祭が、都知事、広島・長崎両市長のあいさつ、政党代表、平和諸団体の臨席を得て執り行われました。以後43年間、「慰霊祭」は品川仏教会のご協力を得て宗教方式で、「追悼のつどい」は無宗教方式で東友会によって執行され、被爆者と都民が原爆で亡くなった人びとの慰霊と核兵器廃絶への願いを誓い合う場として、8月の原爆の日に最も近い日曜日ということで7月の最後の日曜日に、真夏の暑さをついて続けられてきました。「原爆死没者慰霊碑」は1988(昭和63)年、目黒川の河川改修のため北東方面に数メートル移転となり、現在に至っています。
 東友会が慰霊碑建立を決めたのは、「広島・長崎に一度も帰れない。東京に手を合わせて頭を下げるところがあればいいのだが」という被爆者の声がきっかけでした。東海寺に建立されたのは、当時の片岡強東友会会長が奔走して、品川区の有力者の力と東海寺の禅師の協力を得てできたものです。
 慰霊碑の雄渾な文字は、片岡会長の筆。右の「われら生命もて…」の碑文は長尾當代常任理事の筆。左の碑文は伊東壯事務局長の作。碑のデザインは、小島利一前事務局長の作で、鶴が両翼を拡げて大空にはばたく姿を型どっています(役名はいずれも当時)。広島・長崎の被爆石も左右に配置されています。慰霊碑は、建立以後、東京の被爆者と遺族の「拠り所」になっています。
 慰霊祭の日以外にも3月、5月、9月、12月には東友会理事や地区の会役員などの被爆者と東友会事務局員が東海寺を訪ね、碑を清掃し、献花しています。清掃の日には「お参りしていた人がいた」「瑞々しい花があった」「名刺が置いてあった」などなど、毎回、慰霊碑に寄せる都民や被爆者の思いが報告されています。

原爆犠牲者慰霊碑:品川区北品川3-11-9 東海寺内(2010年6月の記事掲載時。2012年に葛飾区の青戸平和公園に移設されました。)
(取材・執筆:山本英典)

原爆死没者慰霊碑を正面から写した写真。
原爆死没者慰霊碑
ふきんで慰霊碑をふく人、バケツを運んでいる人など。
慰霊碑を清掃する被爆者