【連載】東京にある被爆の実相 (3)第五福竜丸展示館 2.碑や塚
前号につづき、第五福竜丸関係の事跡を紹介します。(取材・執筆:森貞士)
久保山愛吉碑:急性放射能症で亡くなった第五福竜丸無線長・久保山愛吉さんの遺言「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」を刻んだ碑です。横には生前の愛吉氏と妻すずさんが育てていたバラが移植されています。
第五福竜丸エンジン:廃船後の第五福竜丸から抜き取られたエンジンは別の船で使われていましたが、この船は台風のため三重県沖で座礁。この事実を知った和歌山県の市民運動が1996年に海から引き上げました。「第五福竜丸エンジンを東京・夢の島へ都民運動」が結成され、両都県の運動が協力して1998年に船体のそばにエンジンが設置されました。
マグロ塚:当時、マグロなど多くの海産物が汚染されました。築地市場でも大量の廃棄マグロが埋められました。1997年、この事実を忘れないでほしいと元福竜丸乗組員の大石又七さんが「マグロ塚」建立を呼びかけ、築地市場入り口に「マグロ塚」のプレートを設置。敷地整備の関係で市場には置けないため、碑石は現在、福竜丸展示館脇に仮設置されています。