被爆者相談所および法人事務所
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各国政府に核廃絶を訴えたい NPT要請団 東友会代表9人の感想

 2015年4月24日から5月1日、NPT(核不拡散条約)再検討会議に日本被団協が派遣した要請団に、東友会は9人を代表として派遣しました。要請団の全体の活動は「東友」5月号で紹介しました。
 この派遣は、みなさんの「募金」への協力で実現できました。本号では参加した9人の感想を紹介します。

家島昌志

 今回のNPT会議には前進を期待したのですが、それは裏切られました。
 私が属した班は、2つの日本人学校の小学生と市内の高校生に証言をする機会を得ました。日本人学校では、低学年の生徒でも日米が70年前まで戦争状態にあったことを知っていましたし、高校生は国連ロビーでの原爆展の事前学習までおこない、感性鋭い質問を浴びせてきました。
 これほど小さな子どもたちに証言をした経験はありませんが、彼ら彼女らに少しでも平和の心を伝えられたことに満足しています。

生徒とかたく握手する家島さん
ハイスクールの生徒と(家島)

濱住治郎

 被爆者として海外での活動は初めてで、ニューヨーク市街のパレード、国連での原爆展、高校や短期大学での証言活動、日本の軍縮大使との面談など、すべて貴重な体験でした。
 証言活動では、爆死した父の写真を前に、胎内被爆者の想いを伝える機会を得ました。とくに若い学生たちに、原爆の恐ろしさを知ってもらえたのではないかと思っています。期間中、生協の若いみなさんと行動を共にし、核兵器廃絶に取り組む共通の課題を確認する機会になったのも、嬉しい経験でした。

原爆展のパネルを背景に、額に入れた父親の写真を手にする濱住さん。背の高い参観者と並んで
原爆展で父の死を伝える(濱住)

今井和子

 「被爆者の思いよ届け!」と皆でがんばってきましたが、NPT会議は「決裂」で終わってしまいました。
 国連ロビーで開かれた「原爆写真展」会場では、多くの人びとの意見を聞くことができました。とくにイスラエル人夫妻の言葉を思い出します。「もちろん核兵器はいらない。イスラエルは持っていると言われているが私たちはそう思っていない」。
 市民は核廃絶を願っているのに、保有国政府は人道性より抑止力が優先するようです。「核のない世界」を掲げるオバマ政権がイスラエルを核保有国として擁護する奇妙なNPTの結末を、あのイスラエル人夫妻はどう受け止めているのでしょうか。

通訳の方と一緒に、パネルを示しながら参観者に語る今井さん
原爆パネルについて説明(今井)

木村徳子

 核大国アメリカで、多くの人に原爆の実相を伝え、核兵器ある限り平和はないことを訴えたいと思いました。
 私たち10班の役割は、コミュニティカレッジ、国連国際学校、原爆展での証言、日本政府との面談でした。
 カレッジでは国籍も年齢も違う80人余が教室から溢れんばかりに集まり、熱心に話を聞いてくださり、話の後「日本から生の被爆体験を届けてくれてありがとう。よくわかった」と言葉をかけてくれました。国際学校の生徒からは「あなた方の核兵器反対運動に加わり支援します」のメッセージをいただきました。私たちの思いが伝わったことを期待したいところです。

二人の背の高い参観者に語る木村さん
原爆展で参観者に証言(木村)

田﨑豊子

 10歳のとき被爆した母が亡くなり5年。東友会の推薦を受けて訪米しました。
 訪問先では、小学6年生と中学1、2年生が集合しました。被爆二世の私は、伝えることの難しさを反省もしましたが、先入観の少ない生徒たちに話す機会のなかで、被爆者と若者をつなぐ役割を果たせたのではと思います。
 被爆二世は原爆被害を直接体験していませんが、母の苦しみや痛みは自分の精神に組み込まれ、残り続けています。戦争と核兵器の怖さを忘れてしまった政府関係者を初心に立ち返らせ、人の痛みを感じ取れる世界の人びとと話し合い、手を取り合って、核兵器廃絶の世論を増やしていきたいと思います。

ニューヨークの街をゆく行進に参加している田﨑さん
東友会の横断幕を支えて(田﨑)

東條明子

 10歳のあの夜、脳裏に焼きついた真っ赤なきのこ雲の下で、無惨に焼き殺された10万人の人びとの無念が忘れられません。私がその一人であっても不思議ではなかったのです。
 釋尊の教えの中に「真理の言葉」が2500年後の今も輝いています。これこそ永遠の世界平和のキーワードです。非核特使として被爆証言と釋尊の遺訓を伝えさせていただきました。
 フランス政府の代表に経典の言葉を伝えたとき、じっと私の目を見つめられたのが印象的でした。非核と非戦をあきらめず、人類の平和を願って行動することが、生かされている者の使命です。いのちのある限り力を尽くしたいと思います。

個人宅に集まった人たちに語る東條さん。その様子を撮影する現地カメラマンらも一緒に写っている。
法衣をまとって訴える(東條)

平山雪野

 出発までは、証言をする父の被爆体験を頭に叩き込み、原爆投下後に実際父が歩いた道のりを辿り、多くの方がたの被爆体験を読むことに費やしました。みなさんに助けられ、何とか自分の役目をこなすことができました。
 証言活動をした学校は、小さい子どもが多かったのですが、真剣に話を聞いてくれました。「悲惨な戦争の歴史を繰り返さないためにも、私たちも語り継いでいかなくてはならない。将来、必ず広島と長崎に行く」と約束してくれました。
 被爆二世として、これからの世界を背負う子どもたちとともに、核兵器のない世界をめざす道のりを歩んでいこうとの志を再確認できました。

舞台の上で子どもからテディ・ベアを受け取る平山さん。
証言後、贈り物を受ける(平山)

堀場和子

 4月26日、ユニオンスクエアの平和集会とそこからの大行進、27日から初めての証言活動がはじまりました。どこまで被爆の実相を伝えることができるのか心配でしたが、通訳者のご協力のおかげもあって、アメリカの人たちに被爆者の思いを届けることができ、ほっとしました。
 最終日には、国連でフランス政府の代表と1時間ほど会談の機会があり、核兵器廃絶に取り組むよう直に要請することができました。
 この先、まだ道のりは長いと思いますが、核兵器のない平和な世界になっていけるよう、訴え続けていきたいと思います。

個人宅に集まった人たちに語る堀場さん。
個人宅に招かれ証言(堀場)

村田未知子

 「被爆者でも被爆二世でもない私の証言が、役に立つのか」という不安を覚えながら渡米しました。しかし、証言を聞いてくれた小学4年生から「村田さんに聞きたい。被爆者の相談員として何を感じているか」の声。「リメンバーでなくノーモアと願う被爆者に、私の方が励まされている」と回答しながら、私たちの訴えがしっかり届いていると痛感しました。
 現地の高校生からは「心の傷について聞きたい」という質問も受け、相談員として知った被爆者の実態を伝えることができました。
 「私も原爆被害の実相を証言できる」。この確信を持って、私も証言活動に参加しようと決意しています。

ハイスクールの生徒たちに語る村田さん。
ハイスクールで質疑応答(村田)