東友会の活動を支える縁の下の力持ちたち
世はうつり、人はかわり、方法がかわっても
東友会の活動は、相談所の運営、国会や都議会への要請、原爆展や証言、訴訟やその支援、署名・宣伝の街頭行動など多様ですが、世間の注目を集めるような活動ばかりではありません。表舞台を地道に支える裏方的な活動もあります。それは東友会結成以来たゆまず続けられてきました。日ごろあまり知られることのない活動の分野を、ささやかではありますが紹介します。
新聞「東友」の企画・取材、編集会議
東友会の機関紙(会報)「東友」は、東友会結成の2カ月後から発行されました。都内各地に住む被爆者に必要な情報を伝え、直接会えなくても被爆者同士励ましあう交流の場としての役割を担ってきました。専門的な作業は、協力者や印刷所に手伝ってもらいますが、基本的なことは今も被爆者が手がけます。
次号の「東友」をどんな内容にするか企画し、取材現場で写真を撮り、記事を書くのも被爆者です。いまの「東友」は月刊なので、毎月欠かさず編集会議を開きます。年末年始やゴールデンウィーク、夏のお盆休みの時期も、定期発行するために休みはありません。
発送作業の練達 猫の手会
完成した「東友」の発送も、被爆者のボランティアグループ、その名も「猫の手会」がおこないます。東友会事務所が港区にあったころは畳の部屋で封詰め作業をし、台車で近くの芝郵便局まで運びました。
いまの事務所(文京区)に移ってからはテーブルでの作業になっています。以前は郵便局が取りに来てくれましたが、民営化されてから集荷がなくなり、事務局員が車で本郷郵便局まで運んでいます。
近年は、被爆二世や支援者も加わって発送作業をしています。「東友」以外の大量発送があるときも、猫の手会が大活躍します。
財政と宣伝を兼ねた事業活動
以前の東友会には、物品販売をおこなう事業部があり、東友会の財政を支える役割を担っていました。ただ物を仕入れて売るのではなく、被爆者運動の趣旨にかなう品物を企画・開発。一番最初は「折り鶴バッジ」でした。著名人の支援もあり、松本清張、吉永小百合、黒柳徹子、西田敏行の各氏が揮毫した扇子を扱った時期もありました。
夏の原水爆禁止世界大会には全国から大勢の人が集まるので、被爆者と事務局員が出向き、宣伝や訴えを兼ねて、販売に汗を流しました。