被爆者相談所および法人事務所
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広島・長崎にある「東京の木」の話

ひとりの被爆者のささやかな願いから始まった 広島・長崎にいた証と生命をつなぐ植樹

 被爆40年の1985年、東友会は、被爆地である広島・長崎両市に慰霊墓参団を派遣する計画をたてました。このなかで、当時、新宿・新和会の会長をつとめられていた山根操さん(故人)が、この年4月の理事会で「広島の町は被爆後すっかり変わって、帰るところがありません。広島の原爆で一人息子がひどいやけどで被爆死したし、私も重傷で、とにかく東京に出てくるのがやっとだったから、今思い起こすものを残してきていません。年がたつにつれて、広島がだんだん遠くなってきていますが、せめて、広島にいったとき立ち寄れるところがほしい」と発言しました。この山根さんの発言から、1年に一度、東京の被爆者が集まれる場所を広島・長崎につくろうと話し合われ、東友会として募金を集めて「東京の木」を植樹する運動を広げることになりました。
 1985年8月の被爆40年慰霊墓参団の際、両市の市長に面会できた東友会は、この希望を伝え、「東京の木」を両市の公園内に植樹できることになりました。その後「東友」で植樹のための募金1口1000円が被爆者によびかけられ、被爆者と遺族などから植樹に必要な費用の総額20万円が集められました。
 広島市の「東京の木」は、1986年4月1日、広島市立中央公園の東南角地にケヤキの若木が3本植樹されました。広島で被爆した東友会の役員から、東京で生きている被爆者の代わりに、武蔵野台地に自生する「ケヤキ」をという声があり、ケヤキは、炎に対して水を吹く木だといわれていることから、水を求めながら亡くなられた原爆死没者を悼む思いとも重なると、この木が選ばれました。
 同じ1986年4月1日、長崎市に「東京の木」として植樹されたのは、クロガネモチ1本。植樹された場所は、長崎市立平和公園の「平和の泉」下、下りエスカレーターの左側に、目黒区、足立区、葛飾区、江戸川区の被爆者の会が植樹した木と一緒に生育しています。長崎への植樹は、長崎で被爆した東友会の役員から、ぜひ「クロガネモチ」をという希望がありました。クロガネモチは、長崎市内に自生している木で、被爆のため焦土と化した長崎で最初に芽吹いた木といわれています。原爆とたたかい、力強く核兵器廃絶と平和を願って生きる被爆者の象徴として選ばれました。
 広島市には、中央公園のケヤキの他に、被爆26年の墓参団が植えた8本のイチョウが原爆供養塔から慰霊碑に向かう道の両脇で大木になっています。さらに、鶴見橋の西詰には、日本被団協に参加する全国の被団協が被爆45年の90年に県木を植樹した「被爆者の森」があります。

広島に植樹したケヤキ
長崎に植樹したクロガネモチ