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ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟のまとめ

「自らを救い世界を核兵器から救う」たたかいは今

 ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟の最後の原告に対する判決が2018年12月におこなわれ、32人の原告全員の勝利が確定しました。原爆症認定集団訴訟、ノーモア・ヒバクシャ訴訟とつづく全国規模の裁判の弁護団の中心で活躍してこられたお一人、中川重徳弁護士に、東京のたたかいと全体の状況をまとめていただきました。

ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟 画期的な原告全員の勝訴
ノーモア・ヒバクシャ訴訟全国弁護団事務局長 中川重徳

中川重徳弁護士

 「国の控訴を棄却する。」2018年12月14日、東京のノーモア・ヒバクシャ訴訟で最後まで裁判を強いられていた山本英典原告団長について、東京高等裁判所の判決が言い渡されました。
 被爆者が見守るなか、垣内正裁判長が読み上げたのは、一審の東京地方裁判所の判決と同じく、国の主張をしりぞけ、山本さんの病気を原爆症と認定する全面勝訴判決でした。裁判長は、国の代理人を前に、判決の要旨についてもしっかり読みあげました。国は、山本さんの慢性心不全(狭心症)と原爆放射線との関係について、専門家証人をたてて執拗に争っていました。しかし判決は、一般論として狭心症は「0.5グレイを相当程度下回るまで」放射線との関係が認められるとしたうえで、山本さんの病態を単なる安定狭心症と断定することはできないとして、国のいいがかりを完全にしりぞけるものでした。
 国は、この明解な判決に対して最高裁あての不服申立(上告または上告受理申立)をすることができず、勝訴判決は確定しました。
 山本さんの勝訴判決で、東京のノーモア・ヒバクシャ訴訟は、第1次訴訟、第2次訴訟とも原告全員が、裁判の途中で国が認定申請却下処分を自庁取消によって認定するか、判決で勝訴して確定し認定されたことになります。文字どおりパーフェクトの勝利です。国を相手にした行政訴訟全体の勝訴率は10%台ですので、32人の原告全員が勝訴するというのは、普通では考えられない画期的なことなのです。

弁護団の弁護士4人、裁判所前の歩道にて
勝利を喜ぶ弁護士の先生方

原爆被害を軽視する国の姿勢ただすため

 重い病気に苦しむ全国の被爆者が原爆症認定集団訴訟を起こしたのは2003年4月。当時、厚労省は「原因確率」という科学の装いのもとに、原爆症認定の申請を切り捨てていました。2006年の段階で、被爆者健康手帳を持っている人は全国で約26万人、このうち原爆症と認定されているのは1%にも満たない2280人でした。国は、原爆放射線のうち直爆放射線だけを考え、残留放射線の影響を否定する考えに立っていました。原爆放射線の人体影響についても、科学的に証明されているのは、がんのうちの一部だけという前提に立っていました。
 原爆で家族を失い、生活の基盤を破壊され、体調不良とたたかいながら戦後を生き、高齢となってがんや肝機能障害、甲状腺、心疾患・脳梗塞などさまざまな病気が発症しても、認定行政の厚い壁がたちはだかっていたのです。
被爆者にとって、原爆症認定申請を却下されることは、原爆被爆を否定され、自らの人生を否定されることでした。集団訴訟は、被爆者にとって、文字どおり“自らを救い世界を核兵器から救う”たたかいでした。立ち上がった被爆者は、東京原告団82人を含む306人にのぼりました。
 集団訴訟のなかで、原爆は、がんや白血病を増加させるだけでなく、免疫の低下などを通じて、肝炎、心筋梗塞・脳梗塞、甲状腺の疾病などさまざまな病気の発症を後押しすることが明らかにされました。爆心から1.5キロ程度までしか影響がないとされていた原爆放射線についても、放射性微粒子が遠距離まで飛散し、残留放射線の影響が無視できないことが明らかにされました。
 集団訴訟では、大阪地裁、広島地裁での全員勝訴をかわきりに、国の判断基準と認定行政を断罪する判決が相次ぎましたが、厚労省は当初、被爆者が申し入れをしようとしても、厚労省前の鉄の扉を閉ざして入構を拒否するなど、頑なな姿勢をとりました。
 こうした厚労省の姿勢に対し、山本原告団長さんがみんなの先頭に立って抗議した姿を思い出します。東京の被爆者は、首都に住む被爆者として常に運動の先頭に立ってきました。
 被爆者は、裁判所で勝訴判決をかちとりつづける一方で、与野党の国会議員や世論の応援をバックに、何度も厚労省前で数日間の座り込みをおこない、官邸の決断を求め、ついに2009年8月6日、麻生総理大臣(当時)と被爆者の代表が「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」を締結。国は敗訴しても裁判所の判決に従い裁判を終結させること、認定制度については厚労大臣との定期協議で改定を進めることを約束しました。
 しかし実際には、がんについては相応の拡大がなされましたが、心筋梗塞などの非がん疾患については、裁判所の判断と乖離する運用が続けられています。そのために、ノーモア・ヒバクシャ訴訟が続いてきたのです。

横断幕をもち、つないだ折り鶴を掲げながら厚労省に向かって声を上げる被爆者たち
2007年12月厚労省前での行動

連敗しても姿勢曲げない国・厚労省

 ノーモア・ヒバクシャ訴訟でも、被爆者は全国の裁判所で勝訴を続けました。東京では、第1次訴訟(2015年10月)と第2次訴訟(2017年6月)の地裁判決は、いずれも被爆者全員勝訴の画期的な判決でした。
 これに対し、国はなりふりかまわない訴訟活動を続けました。原爆の放射線が動脈硬化をおこし、心筋梗塞や脳梗塞を増加させることを明らかにした放射線影響研究所(旧ABCC)の論文について、その執筆者自身に、元の論文の内容を否定するような意見書を作成させて裁判所に提出したり、放射線のことはまったく専門外の医師を「専門家証人」として出廷させたのです。特に、東京第1次訴訟の控訴審では、国は、専門家証人5人をたて、被爆者の疾病が放射線以外の影響で起こったと考えるべきだと主張して巻き返しをはかりました。しかし、医師団・弁護団が力を合わせ、被爆者が厳しい目で傍聴をするなか、証人尋問がおこなわれ、判決では国の主張はすべてしりぞけられたのです。

厚労省前の歩道で横断幕をもつなどしながら座り込みを行う被爆者・支援者たち
2017年12月厚労省前座り込み

原爆被害をくり返させないために

 今、全国のノーモア・ヒバクシャ訴訟が大詰めを迎えています。これまで全国7つの地方裁判所に120人の被爆者が提訴し、2015年には、再度国に基準を一部改定させ、その結果認定された原告をあわせると、被爆者の勝訴率は約80%台となっています。しかし、現在でも30人の原告が裁判を強いられています。各地の原告たちはいずれも70代から80代で、裁判の途中で亡くなった被爆者の遺族も含まれます。せめて裁判で認められた範囲は認定してほしいという「当面の要求」にも国は背を向けています。
 2009年8月の「確認書」締結と同時に発表された内閣官房長官の談話には、長い裁判を強いたことを陳謝するとともに、「核兵器廃絶に向けて主導的役割を果たし、恒久平和の実現を世界に訴えていく決意を表明する」とあります。2017年には「核兵器禁止条約」が締結され、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞するなど世界は核廃絶に向け大きな一歩を踏み出しています。
 日本政府に被爆の実相・原爆被害の非人道性を認めさせ、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の全面解決を決断させることは大きな意味があります。「生命もてここに証す」。身をもって原爆被害を世界に訴え、全国の先頭にたって行動してきた東京の被爆者のみなさんの力が、裁判の全面解決のために必要です。支援を心からお願いいたします。