【連載】被爆者が国に問うこと 山本英典顧問に聞く
第2回 原爆被害の真実を広く深く国民に
「あの地獄を受忍(がまん)しろというのか」。1980年12月に原爆被爆者対策基本問題懇談会(「基本懇」)が厚生大臣に答申した「国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」という「受忍論」に対して、被爆者から激しい抗議の声があがり、新聞各社とも「被爆者の心無残に裏切る」「被爆地に憤りの渦」「国家賠償を認めず」の見出しで1面トップで報じました。
翌81年2月、日本被団協は全国会議を開き、「受忍論」を打ち破るための「2000万人署名推進・原爆投下の国際法違反を告発し、国の戦争責任を裁く国民法廷運動」を提起しました。「被爆者は原爆被害を“受忍”できません。戦争被害を『すべての国民がひとしく受忍』することは、憲法の精神に反するものではないでしょうか。37万被爆者は、戦争によるすべての犠牲者とともに、平和を願うすべての人たちとともに、前進することを誓います」。この会議で確認されたアピールです。
「国民法廷」の全国のモデル法廷は、石田忠・一橋大教授(故人)をはじめとする学者、今も東友会に多大な支援を続けている内藤雅義・安原幸彦弁護士などの全面的な協力をえて、永坂昭さん(当時・東友会事務局次長・故人)などが証言し、7月に東京で開かれました。「法廷」では、原爆被害が決して「受忍」できない被害であり、原爆被害への国家補償を勝ち取ることが、核兵器廃絶に背を向ける国の姿勢を全面的に変えさせることを明らかにしました。
東京都内では、1981年11月から1984年3月にかけて、千代田、新宿、文京、世田谷(4回)、杉並、豊島、練馬、板橋、北、三鷹と東大駒場、一橋大学、都教組北多摩西支部で16回もの「国民法廷」が、被爆者を中心に学者、弁護士、労組、原水協などの支援で開かれました。これらの法廷では、初めて人前で被爆証言をする被爆者が相次ぎ、証言の途中で絶句する被爆者、ハンカチで涙を拭いながら語る被爆者もあり、広島・長崎の被害の実相が広がっていきました。
東友会は日本被団協とともに、「国民法廷」運動を通じて原爆被害の実相を広げ国会請願署名を強めること、東京都生協連、東京地婦連や東京民医連、東京原水協の支援を受けて被爆者相談事業を充実させる「被爆者網の目援護体制」を強化し、地区の会のない地域には相談会を重ねながら会を立ち上げる活動を推し進めました。これらの東友会と各区市での相談事業でわかった被爆者の実態は、被爆者を苦しめ続ける「からだ・くらし・こころ」の放射線被害についても明らかにしていきました。