【連載】被爆者医療ドクター訪問
吉澤敬一医師
群馬県桐生市の出身。人のためになることをしたいと医者を目指して新潟大学に入学しました。
卒業後、以前ゼミナールに参加したことのある足立区の柳原病院に研修医として1973年に入職。その後、諸先輩の後を継いで内科・呼吸器科を専門にして医療に従事。足立・足友会など23区東部地区の被爆者健診と診療に尽くされました。健康管理手当の診断書を柳原病院で一番初めに書いたのも先生だそうです。
当初は、原爆投下の事実は知っていたものの被爆者の辛苦はあまり知らなかったそうで、「足友会の会員に接することや、足友会の被爆体験集『原子雲』などにふれたことで、原爆被害の実態、被爆の実情がわかった」とおっしゃっていました。こうしたことができたのも、民医連の医療機関だったためだろうとも話しておられました。
その後、江東診療所の所長に就任。内科・呼吸器科を担当され、江東区の被爆者とも、被爆者健診などを通して関係が深まっています。現在も診察・往診・相談にと、努力されています。
先生は、「被爆医療の専門ではないが、内科・呼吸器科の医師として、今後も被爆者の健康管理に努力したい」と語られました。(森貞士)