【連載】被爆者医療ドクター訪問
園田久子医師
園田先生が医療の道をめざしたきっかけは、小学校の担任の先生の一言だったとか。
1973年、鹿児島大学医学部を卒業後、代々木病院に入職。被爆者医療に関わるようになったのは、おもに循環器専門医師として同院に勤めて10余年経ったころ。当時、被爆者診療は千葉正子先生がほとんど一人でされていましたが、被爆者医療が重要であるため、循環器科と合わせながら後継者として千葉先生と一緒に責任を持って被爆者診療をできる人を――と園田先生が選ばれました。
2000年12月からは、はたがや協立診療所の所長としても、被爆者診療にあたっておられます。
「被爆者は一人ひとり壮絶な体験をしており、不安感が強い方も多い。治療にあたっても単に病気を治す・痛みを除くだけでなく『戦争はだめ、核兵器を使ってはいけない』という生き方、信念につながっている。そこが普通の治療とは違うところ。そのため精神的支柱としての医療を求められていると感じます」と語られました。
先生の趣味はソシアルダンス。25年前から続けており、週3回楽しんでおられます。
医師歴40年の頼れるベテランのお医者さま。都内全域、たくさんの被爆者がお世話になっています。これからもよろしくお願いします。(木村徳子)
向山新医師
向山先生は山梨県甲府の生まれ。小学校後半から中学に掛けて、父親の仕事の関係で3年ばかりを栃木県宇都宮で過ごしました。
医者を志すようになった動機は、伯父さんが開業医であり、よく遊びに行ってその仕事ぶりに接したことの影響が大きいといいます。自分も医者になって地域医療に貢献できたら、と思うようになったとか。
医大を卒業して3~4年はいろいろな分野の診療に当たりましたが、整形外科医になったのは、奉職した当時の大田病院に整形外科医が一人しかいなかったため、その担当を任されてからといいます。
被爆者医療に関わりを持ったのは、大田病院に入った冬、大友会の被爆者健診についての懇談会に出席し、そのまま被爆者健診担当を任されて以来です。
「被爆者のみなさんはまた一つ年齢を重ねられたが、健康に留意して核兵器廃絶運動に取り組んで欲しい」と、先生からメッセージをいただきました。
趣味は四輪駆動車を乗り回すこと。昔はよくキャンプもしましたが、今は大きくなった子どもたちがいっしょに来てくれなくなりました。
休日も各種会議への参加が忙しく、家庭を顧みる暇もないほど多忙な日常だそうです。先生も健康に気をつけていただきたいと思います。(家島昌志)