ノーベル平和賞授賞式にのぞむ日本被団協代表団がオスロで活躍
2024年のノーベル平和賞が日本被団協に贈られることが決まり、12月10日にノルウェー・オスロで同賞の授賞式がおこなわれました。授賞式には日本被団協の3人の代表委員を含む30人の代表団が参加。東友会関係では家島昌志代表理事と濱住治郎執行理事が代表団の一員となりました。授賞式の様子はテレビや新聞などでも大きく報道されました。日本被団協の事務局次長でもある濱住執行理事に報告してもらいました。
出発と前日まで
日本被団協の代表団30人は12月8日10時前、スカンジナビア航空の飛行機で羽田空港から出発。アラスカ経由でコペンハーゲン空港に着き、そこからオスロに向かい、午後7時半ごろオスロ空港に到着しました(8時間の時差)。周辺には雪があり寒さを実感しました。
3人の代表委員はVIP待遇で警護付きの別行動。残りの代表団はバスでホテルへ。ロビーでは韓国原爆被害者協会の人たちが横断幕をもって迎えてくれました。
翌9日、3代表委員はBBCの取材や国際的な記者会見、授賞式のリハーサルなどに対応。残りの代表団はピースストリートとよばれるホテル前の通りなどを散策。「2024年ノーベル平和賞」ののぼりがずっと並び、公園の観覧車の中央にはツルが映し出され、歓迎のムードが強く感じられました。近くのレストランで食事をしながら韓国やブラジルの被爆者と懇談しました。
授賞式当日
2024年度のノーベル平和賞の授賞式は10日、オスロ市庁舎のホールでおこなわれました。受賞関係者のほか、同国の国会議員、各国大使、高校生などが招かれました。
式典はノーベル委員会のヨルゲン・フリードネス委員長の挨拶のあと、ノーベル平和賞の賞状が箕牧智之代表員委員に、メダルが田中重光代表員委員に手渡されました。つづいて田中煕巳代表員が、日本被団協を代表してノーベル平和賞受賞メッセージを発表しました。20分に及ぶこの講演は感動をよび、立ち上がった列席者から長い長い拍手が贈られました。
各国の個人・団体と交流
授賞式後は、生放送のインタビュー。夕方からは「たいまつパレード」の参加者に向けて3人の代表委員がバルコニーから挨拶を送りました。
日本原水協やピースボートからの参加者もパレードに参加し、日本被団協で用意した運動を担ってきた被爆者(故人)や支援者の顔写真のパネルを掲げました。
夜は、日本被団協の代表団も参加し、平和賞祝賀晩餐会が夜遅くまで開かれました。
面談と被爆証言など
3人の代表委員以外の日本被団協の代表理事や事務局役員らは9日夜、中満泉国連事務次長・軍縮担当上級代表と面談したのをはじめ、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)前事務局長のベアトリス・フィンさんたちに被爆証言、メリッサ・パーク現ICAN事務局長と懇談などをおこないました。
11日には、日本から参加した高校生平和大使と現地の高校生との交流があり、日本被団協の代表も参加。オスロ市立キューベン高校で高校3年生約200人に大歓迎をうけるなか、代表理事など3人が被爆者証言をおこない、交流しました。
同日夜はオスロ大学で200人を超える参加者に代表理事や胎内被爆者、被爆二世などが証言をおこないました。
夕刻には、ノーベル平和賞受賞に合わせた「人類へのメッセージ展」が市庁舎近くのノーベル平和センターで開幕。日本被団協代表団も参加してオープニング式が開かれました。会場には日本被団協の結成宣言や故・岩佐幹三さんの資料など被団協の活動資料や年表のほか、11月に撮影された首都圏の被爆者25人の等身大の写真とアップされた原爆への怒りの顔が展示会場に展示されていました。
なお午前中には、急きょ現地の中学生からインタビューの依頼が入り、映像を撮って学校で紹介するという話に、代表団も精一杯応えました。
帰国便の機内でも
コペンハーゲンから羽田に向かう飛行機では、「これまで生涯をかけておこなってきた、そしてこれからも続けていくであろう貴重な活動に対して、深く感謝すると同時に、核兵器も戦争もない平和な世界が一日も早く訪れますよう心からお祈りします。これからも平和の声を上げつづけてください。乗務員一同、みなさのご健康とご多幸をお祈り申し上げます」と機内アナウンス。乗客からは拍手が沸き起こり、機内は温かい雰囲気に包まれました。
羽田空港には13日朝到着、空港に待ち構えていた取材陣への対応も一苦労でしたが、代表団の誰ひとり体調をくずすことなく帰国できことを全員で喜びあいました。
なお11日午後には、駐ノルウェー日本大使によるレセプションが開かれ、各国駐在大使との面談・懇談ができました。