被爆80年のはじまりを意識して 新春6・9行動 元気な一歩ふみだす
年明けの2025年1月6日、有楽町マリオン前で「新春被爆者援護連帯6・9行動」がおこなわれました。毎年、日本原水協のよびかけで高校生から女性団体、労働組合や平和団体の人びとが参加している行動です。
東友会からは、最高齢88歳の髙木恭之さんから胎内被爆78歳の齊藤玉子さんまでの18人、「おりづるの子」(東京被爆二世・三世の会)から2人、内藤雅義弁護士などが参加。全体で58人でした。
この日の天候は曇り。寒さの厳しい日でしたが、東友会の参加者はそろいの青いたすきをかけて、1時間、道行く人びとに、日本政府に核兵器禁止条約への署名と批准を求める署名への協力を、熱心によびかけました。
マイクを持った家島昌志代表理事は「父は被爆後も広島市内に残っていたため上顎がんで亡くなり、すぐに鳥取に避難した自分も甲状腺がんにかかった」と放射線の影響について、石飛公也監事は「原爆投下から2日後に広島市内に入ったが、遺体がころがり、遺体を焼く煙が立ち上っていた」と当時の光景を語りながら、それぞれノーベル平和賞受賞の喜びとともに核兵器廃絶への強い願いと署名への協力を訴えました。
この日の署名への協力は、全体で78人でした。