つたえようヒロシマ・ナガサキ 東京原爆展 多くの人びとが注目
国内外・老若男女を問わず参観 折り鶴コーナーでは言葉の壁を越えて交流
東友会は、東京都庁南展望室で5回目となる「つたえようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」を2012年7月20日から24日まで開催しました。原爆展には東京都、広島市、長崎市が後援し、東京都生協連、東京地婦連が協賛しました。
長らく秘蔵されていた神田周三画伯の作品
東友会が7月に原爆展を開催するのは初めて。今回の原爆展のメインは、日本被団協が2012年3月に完成させた「原爆と人間」パネルと故・神田周三さんの原爆をモチーフにした絵画10点と手記でした。
神田さんは広島洋画界の草分けとなった画家で、身をもって原爆を体験。神田さんの作品は広島県立美術館に24点の絵画などが収蔵されています。
今回の東京原爆展で展示された絵画10点と手記は、原爆症認定申請で相談を受けた神田さんのご家族から東友会に寄贈されたもので、長らく秘蔵されてきた作品群です。
さらに、被爆者の描いた被爆当時の絵、広島市作成の「サダコと折り鶴」ポスター、第五福竜丸展示館の協力を得た被爆現物資料を展示しました。
夏休みの展望室公開でにぎわい、夜間も
今回は、南展望室が夜11時まで営業する日があり、仕事帰りの人や夜景を楽しみにくる観光客にも原爆展を参観してもらえました。
観光地である展望室へ来る人たちの多くは中国からの団体客ですが、アメリカ、フランス、スペイン、インド、韓国からの観光客もいます。ちょうど夏休みとあって、国内各地の中学生、高校生、家族連れが多数入場しました。
神田さんの絵を見て「画伯の悲しみや怒り、願いが胸に迫った」という人、「原爆と人間」パネルを見て「核兵器の残酷さや、核廃絶の願いが世界に広がっていることがよくわかった」と感想を寄せた人もいました。
小学生くらいの子どもにていねいに説明しているお母さんやお父さん、核兵器と福島原発事故の影響について、パネルを指さしながら熱心に語り合う若いカップル、亡くなった親が被爆者だと話しかけてきた人もありました。
中国から数十人できた交流少年団の中学生たちは、展望もそこそこに原爆展に関心をもち、通訳ボランティアの説明を聞きながらメモを取り、折り鶴の折り方を学んでいました。
折り鶴は国や言葉を越えて人びとをつなぐ
2011年11月の原爆展で、折り鶴コーナーが好評だったことから、今回も5000枚の折り紙を用意して展示会場の3カ所にコーナーを設置。被爆者やスタッフが指導員を担当しました。
子ども連れ家族や海外からの観光客は、展望よりも興味をもつ人もあり、大変好評でした。フィンランドからきた12歳の少女は、見学したことと折り鶴を折った経験を感想文に書いてくれました。
ひたすら折り続ける韓国からの学生のグループ、折り方を忘れて小学生の娘から教わるお母さん、やさしく見守る男性の脇で必死にチャレンジする外国人女性の姿もあり、折り鶴コーナーは、入場者と被爆者やスタッフが、核兵器や平和について語り合う交流の場ともなっていました。
様ざまな人びとの協力・支援に感謝
今回の原爆展は5日間で約7000人が展望室を訪れ、多くの人たちが原爆展に足を止めました。
さらに東京都福祉保健局からは前保健政策部長の前田秀雄技監をはじめ、保健政策部長、疾病対策課長、被爆者援護係長など多数の職員が来場。民主党と共産党の都議会議員5人、長崎市東京事務所長など長崎市の職員、協賛した東京都生協連、東京地婦連の代表も来場し、熱心に参観しました。
この原爆展成功のために、被爆者と会づくりをすすめている被爆二世、支援者のべ109人がスタッフとして活躍しました。
「東京原爆展」に寄せられた感想から
2012年の「東京原爆展」には7000人の参観者がありました。多くの人々から感想文が寄せられました。
その一部を紹介します。
- 女性・学生
- 「展示内容が多方面にわたり、とても興味深かったです。核の恐ろしさや戦争の悲惨さをよく理解することができました。こうした展示会を開き、多くの人に平和を呼びかけることは大変意味のあることだと思います」
- 70歳・男性
- 「神田画伯の絵から、画伯が受けた悲しみと怒り、そして今後あってはならない願いが迫ってくるのを覚えました」
- 女性
- 「私が中学・高校の時、東友会、葛友会の方がたのお話を聞き、学ばせていただき、私の人生観は変わりました。そんな私も子どもがおり、同じ中学生になり、ヒロシマ・ナガサキを学んでもらおうと思って今日参りました。私は被爆者の方のお話を聞けましたが、子どもはお話を聞く機会ができず、どうも私の思いが届かない気がします。今度は子どもと広島・長崎に行って、何か感じてもらいたいと思っております。被爆瓦に触れて、胸がつぶれる思いがしました。ありがとうございました」
- 男性
- 「今一番気になっていることの一つに原爆による後遺症があります。両親とも被爆者であることは知っていましたが、母が体調を崩すことが多かったのは被爆と関係していたのか、母は3年前に亡くなっているので、知る術がありません。父も2011年死去。今福島にしっかり目を向けて、放射能がもたらすものを人類の生存のためにも研究して欲しいと思います」
- 20歳代・女性
- 「パネルの説明がとてもわかりやすかったです。原子爆弾の仕組みや、使用する必要がなかったこと、今、核兵器廃絶の流れが世界で広がっていることなどなど。また、原爆詩や被爆者の方の絵は、とても生々しく当時のことや核の残酷さが伝わってきました。ノーベル平和賞受賞者の方々の宣言、原発反対運動のパネルには励まされました。今後もぜひ続けてください。あと、良かったら、子どもの平和像の写真や高校生の平和への取り組みを紹介していただけたらうれしいことです」
- 性別、年齢不明
- 「毎年都庁で原爆展が催されていることは知っていましたが、広島・長崎での資料館は見ているので、という気持ちがあって、今回初めて来ました。やはり何度見ても心が突き動かされます。また、友人等を誘って来たいと思います」
- 栃木県矢板市・女性
- 「日本は原爆や原発など放射能ととても関わりのある国になってしまった。平和でおだやかに生きるには、核は必要ないと伝えることをやめてはいけないと思う。たまたまよっただけなのですが、見学できて良かったと思う」
- オランダ在住日本人・女性
- 「福島で原発事故があった後、原発の恐ろしさを伝えるためにも、ヒロシマ・ナガサキの事を伝え続けるのが、日本の宿命だと思います。世界で唯一原爆の威力、悲しみを知っている国が同じような過ちを絶対くり返さないために」
原爆展には外国人の姿が多く見られました。中でも多かったのが中国人と韓国人でした。これらの皆さんも感想を寄せてくれました。
- 上海・男性
- 「遠親不如近鄰 日中友誼和平 是人民之福」
- 上海・男性
- 「日中人民安永遠友好」
- 台湾・男性
- 「希望 自由、平安」
原爆展の会場に折り鶴コーナーが設けてあったことへの歓迎の言葉もありました。
- フィンランド・女性
- 「折り鶴の作り方を経験してとても楽しく、良かった。スタッフはすばらしかった。都庁を訪問してすばらしかった」
- 中国・長沙からきた11歳と9歳の姉弟
- 「折り紙、いっしょに折りました」
折り鶴コーナーについては、案内役を務めた被爆者から意見がありました。
- 世田谷・女性
- 「折り鶴コーナーを2013年以降も設置の予定でしたら次のことを要望します。なぜ折鶴を折るのかの説明を日本語、英語、中国語、朝鮮語などでパネルにして各コーナーにはってくださいませんか。握手を求められたり、写真を一緒にと所望されたり、観光サービスと間違えられているのではと思いました。鶴を折りながらパネルの文字を指し示し、反核の願いが伝えられたらと思います」