【連載】役員の紹介「東友会とともに」
被爆時幼児だった「若手」被爆者の役員や、非被爆者の役員を順次紹介します。
第10回 法人監事(弁護士) 内藤雅義さん
内藤さんは1950(昭和25)年東京都港区白金の生まれ。
父は裁判官で、たまたま原爆投下時に裁判官として広島勤務であったために被爆。母は己斐近くの自宅で被爆。当日、建物疎開作業に動員されていましたが、体調が悪くて休んだため命拾いをしたとのことです。
ご両親とも被爆者手帳の申請はしなかったので、法律上は被爆者ではありませんが、内藤さんは被爆二世です。
父親の後を継ぐ意思はありませんでしたが、子どものころから公害問題などに関心があったそうで、都立大学を卒業して弁護士に。
1977年の「被爆問題国際シンポジウム」(国連NGO主催)や国の戦争責任を裁く国民法廷運動などで活躍。人権派弁護士としてハンセン病訴訟や原爆症認定訴訟などに取り組み、東友会の監事も引き受けています。
趣味は大学時代のサークルで学んだフォークダンス。千曲以上をマスターして、一時期は町の教室でも指導していたとか。東友会の行事でお馴染みの「三三七拍子」は、その応用だそうです。(家島昌志)