【連載】役員の紹介「東友会とともに」
被爆時幼児だった「若手」被爆者の役員や、非被爆者の役員を順次紹介します。
第9回 協議会会計監事(八王子) 広中弘道さん
あの日の朝、突然猛烈な爆風が食事中の母子3人を襲いました。爆心地から1.4キロメートル、広島市舟入本町の平屋建て自宅は一瞬にして崩壊。4歳の弟は柱の下敷きとなり即死。5歳の広中さんと母の2人は辛うじて生き残りましたが、全身にガラスの破片を浴び、血だらけに。全焼した自宅前の道路で4日間を過しました。岩国から駆けつけた叔父に引き取られ、学童疎開から戻った兄とも合流できました。
父はすでに2年前、南方洋上で戦死しており、その年の暮、母子は叔父のもとを離れて上京しました。母は再婚もせず、町工場で働き続け、子ども2人を育て上げ、83歳で亡くなるまで世田谷同友会と東友会の活動に従事しました。
しかし、広中さん自身は、被爆者であることを隠し続けました。母への想いもあり、八王子・八六九会に入会したのは10年程前。2年前に会長に就任。「被爆の実相証言」と「原爆写真展」が活動の2本柱です。
大好きなお酒と将棋、そして仲間との喜怒哀楽の共有を力の源泉に、日々お元気で会を運営されています。(熊田育郎)