【連載】役員の紹介「東友会とともに」
被爆時幼児だった「若手」被爆者の役員や、非被爆者の役員を順次紹介します。
第4回 法人理事 協議会常任理事(葛飾) 中西俊雄さん
被爆したのは生後5カ月。爆心地から2.8キロメートルの長崎市片渕町でした。家族は9人。父親が軍司令部で勤務中爆風で吹き飛ばされ生死の境をさまよったそうですが、被爆の話は一切しなかったそうです。
中西さんはいま、東友会の被爆の実相普及委員会の委員長。葛飾・葛友会の副会長。「被爆の『体験』は話せませんが、原爆被害のひどさは話せると思います」。柔和な顔をキリリと締めて言いました。
長崎海星高校から福岡大学を経てテレビ長崎に入社。40年間勤続のうち35年は東京勤務。キー局の日本テレビとフジテレビとの折衝にあたっていたとか。
葛友会に入ったのは2012年夏。福島原発事故に対する政府のうたい文句の崩壊を実感したから。葛友会の活動を通じて被爆者運動の先人たちの取り組みやその成果を知りました。
「足手まといかも知れないけれど、脳の柔らかいうちに関わっておこう」と、実相普及員会で勉強することにしたといいます。
被爆者の平均年齢は82歳。70歳代は「若手」。中西さんら「若手」の活躍が期待されます。(山本英典)