【連載】役員の紹介「東友会とともに」
被爆時幼児だった「若手」被爆者の役員や、非被爆者の役員を順次紹介します。
第8回(1) 法人業務執行理事 相談所主任相談員 村田未知子さん
村田さんは東京生まれ。親御さんの影響か、小中学生のころから戦争の問題に関心があったそうです。病院の事務職員などの経験もあり、1982年に東友会相談員として勤務。当時31歳でした。東友会事務所が新橋にあったころです。東友会は2018年結成60周年を迎えましたが、村田さんはなんと36年間東友会とともに歩んできたわけです。
村田さんが担っている仕事は多岐にわたります。一番の中心は被爆者相談所の主任相談員としての仕事ですが、東友会の運動についても事務局として裏方の仕事を担当。東京都や都議会議員との懇談・要請の段取りをつけたり、支援団体との交渉や証言依頼の窓口になったり。認定裁判では原告団・弁護団の事務局として活躍しました。
被爆者の先達はすでに亡くなっている方が多いので、いまでは歴史的経過を知る数少ない人となっています。最近は、長年の相談事例をまとめ被爆者の苦労や生き様を語る講演活動をおこない、依頼に応えて全国へ。東友会の「生き字引」として、健康に留意し、これからも東友会を支えてください。(石飛公也)
第8回(2) 法人理事 相談所相談員 的早克真さん
的早さんが東友会に相談員として勤務したのは2003年4月。大田区の病院で23年間医療事務・相談活動を担当していたのを辞任しての転職でした。
「被爆者の方から、自分の病気は原爆のせいではないかとか、被爆者というだけで差別され苦しんだという相談を受けていたので、困っている人の力になりたいと思って転職を決意した」とのこと。
的早さんは島根県松江市の生まれ。松江の高校から東京の明治学院大学社会福祉学科を経ての病院勤務でした。現在66歳です。
そのため福祉問題に詳しく、病院で実際の医療実務も経験、ケアマネージャーの資格も持っているベテランです。だから東友会勤務の初日から電話相談、訪問相談に対応できました。
的早さんが一番心に残っているのは「被爆したことを自分の責任のように思っている被爆者が多いこと」。こうした被爆者の「心の支えになれば」とカウンセリングも学び、被爆者の相談活動に役立てています。
最後に、電話で名前を説明するのに苦労しているとのこと。「まとはや」ですので、よろしく。(山本英典)