【寄稿】「ふたたび被爆者をつくらない」ため 被爆者の「国家補償」要求
吉田一人 (元日本被団協事務局次長 杉並光友会副会長)
被爆者運動が掲げてきた二大要求、「核兵器なくせ」と「原爆被害への国家補償」。被爆75年という節目の年頭にあたり、あらためて国家補償の意味をおさらいする特集を組みました。執筆は、「原爆被害者の基本要求」の策定作業で中心になって活躍した吉田一人さん(当時・日本被団協事務局次長)にお願いしました。被爆者がなぜ国の責任を問い、償いを求めるのか、その意味を綴ってもらいました。
国は「国家補償」を拒否
「被爆者は1956年、日本被団協を結成して『国家補償の援護法を』『核兵器なくせ』の運動をしてまいりました」――田中重光日本被団協代表委員は2019年12月18日、加藤勝信厚生労働大臣との定期協議のあいさつをこう切り出し、原爆症認定についての国側の不当な態度を批判してこう訴えました。「国はいつまで被爆者を苦しめるのですか。被爆者が『生きていてよかった』といえる政策を」
また家島昌志東友会代表理事は、「現行法を国家補償の法律に改正する」「非核三原則の法制化」「核兵器禁止条約の批准・発効」を要請しました。これに対して厚労大臣は「現行援護法を踏まえた行政」とするだけで「国家補償」をにべもなく拒否しました。ここには被爆者の要求とそれに対する国の姿勢がはっきり示されています。
被団協結成の初めから
日本被団協は、田中重光代表委員の言葉通り「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」を要求してきました。結成大会(1956年8月10日、長崎)の壇上には「原水爆禁止運動の促進」「原水爆犠牲者への国家補償」を掲げ、大会宣言「世界への挨拶」はこう呼びかけています。―「私たちは今日ここに声を合わせて高らかに世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません」
「ふたたび被爆者をつくるな」。この願いを実らせるためには「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」を―日本被団協はそのスタートから訴え続けてきたのです。
「国が平和を誓うあかし」
1970年代から80年代にかけて、核戦争の危機の高まりに抗して反核運動が世界的に高まり、日本でも原水爆禁止と合わせて、原爆被害への国家補償を求める被爆者と市民の運動が広がりました。
対応を迫られた政府は1979年6月、厚生大臣(当時)の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇:茅誠司座長)を設置。審議の中では被団協役員も陳述し、「原爆被害への国家補償」を求めました。
文化人、マスコミも大きな関心を見せました。朝日新聞(1980年8月21日付)「天声人語」は書いています。「被爆者援護法を求める運動は、過去のつぐないばかりでなく、将来に対しても国が平和を誓うあかしを求めている」
「原爆地獄」も受忍せよ
しかし1980年12月11日、厚生大臣に提出された「基本懇意見」は、戦争被害は国民すべてが「受忍」すべきもの、として国家補償を否定するものでした。基本懇の戦争被害「受忍」論はこんな理屈です。
「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による“一般の犠牲”として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」
過去・現在・未来、いつの時代でも国民は戦争被害をガマンせよ、という意味。まるであの戦争中の「大日本帝国」そのままの理屈です。基本懇意見は、「原爆被害は悲惨きわまりないもの」「人間の想像を絶した地獄を現出した」と前段で述べながら、その「地獄」の中の死をさえ受忍(がまん)しろ、と結論づけているのです。戦争への反省に立って不戦を誓った日本国憲法のもとで、こんな言い分が許されていいわけはありません。
受忍政策のりこえるために
基本懇意見が出た1980年12月11日、日本被団協は直ちに「見解」を発表してきびしく批判しました。
「答申は、人道に反する残虐な兵器、原爆に対する批判のかけらさえもたず、その国際法違反性についてもまったく触れていない。日本国憲法の平和理念は完全に踏みにじられ、国の戦争責任についての反省もみられない」
「受忍」政策をのりこえるたたかいを開始した被団協は全国80カ所以上で「原爆と戦争を裁く国民法廷」運動を推進するとともに、「要求骨子」を見直し、援護法要求をさらに発展させる理論化に取り組みました。東友会会長だった藤平典さんは「“ふたたび被爆者をつくらないための援護法”と署名を訴えてきたが、それがなぜなのかを明らかにしたい」と言っていました。
「原爆被害者の基本要求」
こうして調査や国民法廷運動、全国的討議をふまえ、1984年に策定されたのが「原爆被害者の基本要求」です。
「基本要求」はその前文で、原爆がもたらした被害を簡潔に記し、「原爆は人間として死ぬことも、生きることも許さない反人間的な、絶対悪の兵器」と断定。被爆者の何よりの願いは「ふたたび被爆者をつくらない」こと、そのためには「核戦争起こすな、核兵器なくせ」「原爆被害者援護法の即時制定」の二大要求の実現が必要だと、結成以来の要求をあらためて掲げ、この二つが不可分の関係であることを明らかにしました。
被爆者の要求する援護法とは、「原爆被害にたいする国家補償」、つまり国が遂行した戦争によって原爆被害をもたらした責任を認めてその被害を償うことです。被害を償うことは、その被害が「受忍」させてはならないものだと認めること。国が核兵器否定の立場に立ち、国民に核戦争被害を「受忍」させないと誓うことでもあるのです。
「国家補償」の4つの柱
「基本要求」は「原爆被害者援護法」(原爆被害への国家補償制度)の柱を次の4本にまとめています。
(1)ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ、原爆被害に対する国家補償を行うことを趣旨とする。(2)原爆死没者の遺族に弔慰金と遺族年金を支給する。(3)被爆者の健康管理と治療・療養を全て国の責任で行う。(4)被爆者全員に被爆者年金を支給し、障害を持つ者には加算する。
被団協はこの4項目を掲げて援護法制定を求める世論づくりの「3点セット」の運動を展開していきました。94年までに、(1)国民署名は1000万人を超え、(2)国会議員の賛同署名は衆参両院とも3分の2を、(3)全国地方議会の促進決議も4分の3を超え、「国は戦争責任にもとづいて被爆者に援護法を制定せよ」の世論は大きく広がりました。
国家補償否定した現行法
被爆者運動と国民世論に押された村山内閣が94年制定したのが、現行の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」です。
しかしこの法律は、所得制限の撤廃や特別葬祭給付金といった一部改善措置を含みながらも、国家補償を拒むものでした。前文に記された「国の責任」は単に「事業の実施主体としての国の役割」を示したに過ぎず、「この法律を制定する」につながるだけ。4項目はまったく実現していません。
村山富市首相は国会で、この法案は「基本懇の考え方を踏まえてつくられている」と答弁。被団協の嶋岡静男国会対策委員長は「政府は、戦争は国の責任ではなく一億国民の責任なんだと、基本懇の受忍論をこの法律で再確認した」と批判しました。
憲法9条の具体化として
現行法は被爆者が求めた「援護法」(原爆被害への国家補償)ではありませんでした。
被爆者が国家補償を求めつづけるのはなぜなのか。
元東友会代表理事で日本被団協代表委員をつとめた行宗一さんは、かつて「原爆は世界初めてのもの。援護法は日本が初めて考えねばならない法律だ。新しい憲法の条文にもとづいて、新しい理念を入れての法律にしなければならない」と言っていました。
国が戦争の責任を認めて、二度と戦争を起こさないしくみをつくる(憲法9条を具体化する制度)。それこそが被爆者が国家補償要求に込めた願いであり、次世代に残したい遺産ではないでしょうか。
日本政府が戦争責任に向き合い原爆被害を償ってこそ、被爆国としての核兵器廃絶の訴えが真に説得力を持つものになるでしょう。