東友会新春のつどい 「原爆の傷をさらしても」の講演に感動
東友会の「新春のつどい」が2003年1月26日、豊島区勤労福祉会館で、140人が参加して盛大に開かれました。つどいには、東友会顧問で91歳の行宗一さんも、20数年ぶりに元気なお顔を見せ、古くからの幹部と懐かしく談笑していました。
第1部では、田川時彦会長が東友会からの訴えに立ち、「原爆の傷をさらしても」と題して25分間講演、感動をよびました。(田川会長の講演要旨はこのページに掲載。講演のほぼ全文も別掲)。
被爆証言では、600メートルの至近距離で被爆した出島艶子・三鷹・三友会会長が、孫が血小板減少症と宣告されたときの衝撃を交えて58年の不安と苦しみを語りました。
来賓あいさつでは、自民党・樺山卓司都議夫人、民主党・和田宗治都議、公明党・長橋桂一都議、共産党・曽根はじめ都議、生活者ネット・藤田愛子都議らがお祝いをのべました。東都生協、けやき平和コンサート、東京被爆者後援会、キリスト者平和の会から、寄付金が贈られました。
第2部は、行宗顧問の音頭による乾杯に始まり、来賓を選者にした「反核いろはかるた」が紹介されました。
支援団体の人びとと、各地区の会の参加者が、ユーモアいっぱいに紹介され、それぞれがそれに答えて力強く決意をのべあいながら懇談、交流を深めました。締めは「青い空は」の全員合唱。肩を組み手を取り合って歌い、閉会しました。
「原爆の傷をさらしても」 田川会長の講演(要旨)
被爆者は「あの地獄だけはくり返してはならない」と、一致して運動を続けてきました。長い運動のなかで被爆者は、自分たちなりのモノの見方、行動の仕方を築きあげてきました。
4年前、東友会の原爆展で葛飾の金子宏正さんは、次のように語りました。「母は死の床で口癖になっていた言葉をくり返しました。『口が裂けても原爆に遭ったことは人に言うな』」。金子さんは、なぜその禁を破り、証言したのでしょう。
戦後、被爆地や被爆者について、非科学的なうわさが広まり、被爆者は社会的差別を受けるようになってしまいました。つらかったのは差別だけではありません。「私は子どもを見殺しにした」「自分だけが生き残ってしまった私が、『被爆者です』などと、どのつら下げて言えるか」。被爆者は、原爆を忘れたかったのです。しかし、体、心に残った原爆の傷は、消すことができなかったのです。
顔がケロイドになった女教師が、「隠すことができないなら」と決意し、「この傷はね…」子どもたちに語りかけ始めました。それが、広島・長崎の平和教育の最初でした。
原爆1号と言われた吉川清さんは、米軍の将校たちの前でケロイドで盛り上がった背中を丸出しにしてフラッシュを浴び、写真をニューヨークタイムズに載せ、大きな反響をよびました。
日本被団協代表委員の山口仙二さんは、55年に初めて被爆体験を語ったときのことを「私は積もり積もってきたものをようやく多くの人に聞いてもらったと感激し、泣きながら上着を脱いで上半身裸になってケロイドをさらけ出したのです。それまで原水禁運動に無縁だった私が、初めて大衆の前で被爆の実相を訴えた。私の運動の出発点がそこにあります」と書いています。
「みなさん、私の体を見てください。原爆さえなかったら、こんな苦しみを味わうことはなかったのです。そのことを国に認めてほしいのです」。半身不随の身体で原爆症認定訴訟をたたかった長崎の松谷英子さんも叫びました。
「破戒の禁」を守ろうとした被爆者が、自分の傷をさらけ出して「核兵器のない世界を」と訴え続けています。
被爆者の平均年齢は70歳を超えました。しかし、被爆者は、いっせいに原爆症認定申請をおこない、却下されれば集団訴訟も辞さないたたかいを始めました。ほとんどがガンの患者です。
腎臓ガンと15年間たたかう杉並の梅園義胤さんは「国は、被爆者が死に絶えるのを待っているんですか。私はまな板の上のコイになります。国は被爆者の死にざまを見てほしい」そう語って訴訟に立ち上がっています。
原爆の傷をさらして、最後まで残された命をたたかい続ける。その決意を被爆者を代表して申し上げます。
反核バザール37人から188点
恒例の「反核バザール」には37人からフルーツジューサー、昆布巻き、傘、入浴剤、タオル、石鹸など、188点が商品として提供されました。全商品が完売となり、東友会オリジナル反核グッズの売り上げと併せて、7万280円の売り上げとなりました。
選ばれた反核かるた
「新春のつどい」で選ばれた14首の反核イロハかるたを紹介します。
- は 反戦の思い託して次世代に 北・飯田マリ子
- ほ 本心はアメリカこわい厚労省 東友会・村田未知子
- ち 中東にあの日重ねて胸痛む 飯田マリ子
- か 限られた残りの人生さあ本番 飯田マリ子
- か 顔の無い溶けた頭がこちら向き無い口で叫ぶまどえ!まどえ!!まどえ!!! 国分寺・西野稔
- か 「書く」集め草の根強し反核の波 葛飾・富田芳子
- つ 次つぎと旅立つ友に思いを重ね 飯田マリ子
- つ 罪意識被爆証言涙ため 三鷹・山本英典
- や 焼け跡で雪をほおばる被爆の子 山本英典
- ま まだ往けぬ言いたか事ばいっぱい残して 飯田マリ子
- こ 子や孫に反核平和のDNA 飯田マリ子
- こ 行動につかれし時はふと思う限りある身の力ためさんと 墨田・山下久代
- こ この地球宇宙から見れば境界なし 府中・池内正躬
- あ あの日から人生転変絶望・希望 立川・川村幸子