広島・長崎両市長が米政府きびしく批判 首相は被爆者との対話拒否
東友会は代表7人を両市へ
広島・長崎両市の平和式典に、東友会は2002年も代表7人を派遣し、式典参列、死没者名簿の照合、「東京の木」への献水式をおこないました。8月6日の広島市の式典には、田川時彦会長と、遺族代表の谷尾喜美子さん(北)、調査員の永井淳一郎さん(武蔵野)と村田未知子事務局員が参加。9日の長崎市の式典には、戸瀬英男事務局次長、遺族代表の北内勝昭さん(東大和)、調査員の田村正夫さん(武蔵野)と村田事務局員が参列しました。
心うった両市長の「平和宣言」
2002年の式典では、両市長の「平和宣言」が深い感動と平和への期待を広げました。
秋葉忠利・広島市長は、2001年9月の同時多発テロ以後、核戦争の危険性が高まっていると指摘。「被爆者が訴えて来た和解の道は忘れ去られ、『今に見ていろ』『俺の方が強いんだぞ』が世界の哲学になりつつある」「『和解』の心は過去を『裁く』ことではなく、人類の過ちを率直に受け止め、その過ちを繰り返さずに未来を創ることにある」と発言。日本国憲法に従うべき政府の役割は、戦争のできる「普通の国」にしないことであり、「政府は広島・長崎の記憶と声、そして祈りを世界、特にアメリカ合衆国に伝え、戦争を未然に防ぐ責任を有する」と宣言しました。
長崎の伊藤一長市長は、米政府の行動を国際社会の動きに逆行するものとし、「一連の米政府の独断的行動を、私たちは断じて許すことはできない」と名指しで批判。日本政府首脳の「非核三原則見直し」発言を批判し、非核三原則の法制化を要求。青年たちには「被爆者の平和への思いを受け止め、自らが何をなすべきか考え、行動し、将来に語り継ごう」と、市民には、「私たち一人ひとりが立ち上がり、日本を、世界を、平和へと導いていこう」とよびかけました。
小泉首相は被爆者との対話拒否
小泉純一郎首相は両市の式典に参列後の恒例となっている「被爆者代表から要望を聞く会」に出席せず、老人ホームの慰問にも参加しませんでした。
首相側は「厚生大臣経験者だからよく理解している」からと述べましたが、年に一度、直接被爆者が要望を伝える場への出席拒否は、「非核三原則見直し」発言を「どうってことはない」ととらえた首相の姿勢とつながるものだという批判の声が広がっています。