【訃報】 飯田マリ子さん、 石井淳介さん
東友会元代表理事 飯田マリ子さん
2025年6月1日、心不全のため死去。享年93歳。13歳のとき長崎市立山町で被爆しました。
1969年から2017年までの48年間、東京都原爆被害者団体協議会(以後協議会)理事として活躍。1974年に初めて東友会を「社団法人」として設立した際は、東京都との交渉にも尽力。その後は法人理事として38年間活躍しました。
とりわけ、東友会の財政を支えるための事業部長や財政委員長を長年担当し、松本清張さん、いわさきちひろさんの扇子に続いて、吉永小百合さん、黒柳徹子さん、西田敏行さんが揮毫した扇子を企画・販売するなどして東友会の財政に寄与しました。
さらに銀行や企業に「共同募金」の指定寄付を依頼する事業もすすめ、数年間で2000万円近い基金を集めました。
2007年から協議会と社団法人東友会会長に、民法改正により2012年4月から一般社団法人になり、その最初の代表理事として活躍。品川・東海寺にあった「原爆犠牲者慰霊碑」の葛飾区立青戸平和公園への移転(同年10月)にも尽力しました。2014年からは体調不良により協議会名誉会長に就任しました。
この間、たびたび日本被団協からの依頼でアメリカやヨーロッパ各国を訪ねて証言活動をおこない、英語力を生かして交流していました。
1992年からは、日本原水爆被害者団体協議会の東京選出代表理事として8年間活動しました。
居住する北区では、東友会が結成された1958年に双友会(北区原爆被爆者の会)結成に参加。1971年に双友会会長となり、以後46年間つとめましたが、飯田さんの体調不良により、双友会も休会となりました。

八王子・八六九会前会長 石井淳介さん
2025年5月23日、膀胱がんのため死去。享年99歳。広島被爆。
1987年度から36年間、協議会理事として活動。1980年代から1990年代にかけて、多摩地区の各市の被爆者結成に尽力しました。
1990年代以後は2024年に岡谷市の老人ホームに入所するまで、東友会相談事業委員会に所属し、相談会の企画をつくるなど活躍。90歳代になっても東友会の会議に1時間以上かけて参加。矍鑠(かくしゃく)と活動する姿は他の役員を励ましていました。
八六九会では面倒見のよい相談員として評判で「石井さんに聞けば、八王子の被爆者のことがすぐに、すべてわかる」と言われていました。
