おりづるの子(東京被爆二世の会) 仲間の輪を広げて
準備・結成・現在そしてこれから
2013年4月、おりづるの子(東京被爆二世の会)が結成されました。その後も、学習交流会の開催、東友会の行事への参加・協力などの活動を重ねながら、着々と仲間の輪を広げています。その準備・助走期間からの約2年の歩みをふり返ります。
約1年の準備・助走を経て
2013年4月21日、平和と労働センター3階会議室で、おりづるの子(東京被爆二世の会)の結成総会が開催され、当初会員28人で同会が発足しました。その歩みは、それから1年前の2012年4月15日に、東友会事務局の呼びかけによって、東京在住の被爆二世13人が集まって開いた交流会から始まります。ほとんどが初対面でしたが、さまざまな体験や気持ちを率直に交換することができ、このような交流を継続することで参加者の意見が一致しました。
その後、7月、11月と交流会を重ね、本格的な会の結成準備に着手することで合意しました。それ以降は運営委員らが毎月打合せを重ね、会則、結成のことば、結成総会のプランなどの整備と用意を精力的に進め、2013年4月の結成総会成功に到りました。
10月に第1回学習交流会
結成後も、会報の発行、会費払込用の郵便振替口座の開設、入会案内書の作成、会員名簿の整備など、9人の運営委員らは不慣れな作業に追われました。また、7月31日から8月5日に東京都庁展望室で開かれた東京原爆展では、多くの会員が、実行委員や会場ボランティアとして参加・協力。東友会結成55周年記念企画「東京に生きる被爆者たち」では、ともに会員であるカメラマンとライターが取材にあたり、メディアなどからも大きな注目を集めました。
10月6日には、第1回学習交流会「東京の被爆二世と被爆者の制度について」を開催。東友会相談員の村田未知子さんを講師に招き、約30人の会員らが参加する盛会となりました。後半の交流会では、参加者が次々と被爆二世として思いを語り、予定時間を大幅にオーバーするほどでした。
他団体との交流・協力も
8月には、上野の森に「広島・長崎の火」を灯す会のイベントに、運営委員の山田みどりさんが参加。10月には、原水爆禁止日本協議会のパネル討論会で、事務局長の吉田みちおさんが発言しました。会長の田﨑豊子さんは、原爆症認定東京訴訟の原告として11月21日に東京地裁で証言しました。季刊誌『反核法律家』2013年秋号に大久保賢一弁護士との対談が掲載され、多くの共感を呼びました。
また東友会からは、「東友」6月号へのおりづるの子紹介記事の掲載、9月の協議会理事会での入会案内書等の配布など、さまざまな支援・助言をうけました。そうした諸活動を通じて、同会は着実に仲間の輪を広げ、2013年末の会員数は77人に到りました。
諸活動の具体化を進めて
同会では、2014年2月8日(土曜日)に、第2回となる学習交流会を企画し、現在その最終準備にあたっています。
また、2014年4月19日(土曜日)に結成後初の総会開催を予定し、被爆二世健康診断の実状の調査・研究、被爆緒言の聞き取りなど被爆の記憶の継承、核兵器廃絶を求める活動、原発問題に関する議論と取り組みなど、まだ十分実施できていない諸テーマについても順次具体化を進め、取り組んでいきたいとしています。