共同と連帯で「核なき世界」への転機を 3・1ビキニデー集会の報告
東友会事務局次長 家島昌志
アメリカのビキニ水爆実験で第五福竜丸が死の灰を浴びてから58年。2012年の3・1ビキニデーは、東日本大震災と福島原発事故後始めて迎える大会とあって注目のなか開催され、東友会はこの集会に事務局次長・家島を代表として派遣しました。
2月29日は、静岡市内で日本原水協の集会が開かれ1100人が参加。安井正和事務局長が基調報告で「2012年を『核兵器のない世界』の扉をひらく年とするため新たな行動に踏み出そう」とよびかけ、8つの分科会でも全国からの参加者が活発な意見交換をおこないました。
翌3月1日朝、焼津駅前から久保山愛吉氏の眠る弘徳院まで1500人が献花墓参行進。午後は「被災58年3・1ビキニデー集会」(同実行委員会主催)が焼津市文化センターで開かれ、約1800人が参加しました。
久保山愛吉さんに捧げる歌の合唱で始まった集会は、川本司郎静岡県原爆被害者の会会長が主催者あいさつ。清水泰焼津市長が来賓あいさつをおこないました。
実行委員会議長団の安斎育郎立命館大学名誉教授が講演し、(1)原爆展を軸に地域ぐるみの署名行動に踏み出す、(2)日本政府に対しアメリカの「核抑止力」に依存する対米追随姿勢をやめさせ被爆国にふさわしい役割を果たさせる、(3)原発ゼロの運動をはじめ、平和、基地、格差、環境など国民的な共同と連帯を発展させることなどを強調しました。
第五福竜丸元乗組員の大石又七さんの証言、海外代表のリレートークや福島県代表の発言もあり、全員の大合唱で幕を閉じました。
往復の車中では、東京原水協の皆さんと有意義な交流もできました。