被爆者相談所および法人事務所
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「私の、私たちの手紙」運動 第1次締切に多様な内容の37通

 東友会が「東友」2012年1月号でよびかけた「被爆67年 私の、私たちの手紙」には、2月末までに37通の「手紙」が寄せられました。「手紙」を書いた人は、被爆者のほかに原爆孤児になった人、被爆者の子ども、被爆者でない支援の人など多様でした。
 「手紙」の宛先は、「総理大臣殿」「国会議員のみなさまへ」といった政治家向けのものから「二人のお母さんへ」「まだ見ぬ我が子と、未来に生まれ出ずるすべての生命へ」「おばあちゃんへ」など、家族に被爆体験を継承しようとするもの、被爆当時に知り合った人たちへの誓いのことばを述べたものなど多彩でした。
 「手紙」の字数では足りないと、自主出版の本を添付した人、便せん16枚に被爆体験を書きつづった長文のもの、短いけれどもきちんと思いを書きつづった「手紙」がありました。

東友会に届けられた「手紙」の束
手書きやワープロでびっしり書かれた「手紙」

「手紙」の一部を紹介

 82歳の江戸川区の米田明さんは、「総理大臣」を宛先にして、原爆で兄、叔父、叔母、従姉妹をなくし、その後父母、長女、次女、弟を次々亡くした悲しみを書き、「もう3度目の原爆をなくしてください」と訴えています。
 5歳で孤児になった渋谷区の小泉純也さんは、小学校、中学校時代のことを思うと「71歳になっても涙がでてきます」と書き、「子どもたちへ」の宛名で「核兵器は人間がつくった物です。君達が大人になったとき、みんなで力をあわせてなくしてください。涙を流しながら書いている一人のおじいちゃんの一行をわすれないでがんばってください」と書き送っています。
 「まだ見ぬ我が子と、未来に生まれ出ずるすべての生命へ」手紙を書いたのは板橋区に住む41歳の被爆者の子・尠海澄水おみのとうすい時統ときとうさん(男性)です。
 腎臓病で人工透析の治療を受けているほかに、血管梗塞でステントを12本も挿入し、心臓バイパスの手術も受けたのは、お父さんが6歳の時広島の2.5キロ地点で被爆したため、そのお父さんの「壊れた遺伝子を受けつぎ、病気になりました」と書きつづっています。
 東日本大震災についても「原発が爆発し…放射線は世界中に飛び散りつづけている、東京電力と政治家・資本家・投資家たちは危険な原子力をもてあそんで子孫にまで迷惑をかける結果になりました」と書き、4つの要求を出しています。
 「戦争で迷惑をかけたアジアの人に謝罪すること。アメリカに謝罪させること。東電にきちんと賠償させ、日本から原発をなくすこと。未だ原発をやりたがる資本家・政治家・投資家にあきらめさせること」
 支援の人からの手紙もあります。松戸市の平田熙さん(78歳)は、原爆被爆の体験はないし、東京大空襲の時も学童疎開で助かったが、「食糧難で空腹の毎日でした」と戦時中の体験を語り、「原子力に依存するのではなく、太陽エネルギーに依存する構造を作り上げよう」と呼びかけています。

 これらの「手紙」は、データーベースに記録し「東友」で紹介するとともに、67年目の原爆被爆者の現状と思いを世界の人びとに伝える手紙として活用していきます。

 「手紙」の第2次締め切りは2012年4月末、第3次締め切りは7月末です。みなさんからの「手紙」をお待ちします。