被爆者相談所および法人事務所
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東京原爆展に大きな反響 被爆の実相と被爆者の願い伝え続けよう

 東友会は、「伝えようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」を2010年11月27日から12月1日まで東京都庁第1本庁舎45階の南展望室で開催しました。
 パネルと被爆した現物の展示、被爆証言のDVD上映と伝え方に工夫した原爆展であるとともに、2010年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれた期間、ニューヨークの国連本部ビルのメインギャラリーで日本被団協が開いた原爆展パネルを日本国内で初めて展示したとあって、マスコミも注目。NHKが初日に何度か放映したニュースを見たり、東京新聞の報道を読んでかけつけた人も多く、5日間の入場者は8000人にのぼりました。
 都庁展望室で3回目となった原爆展で東友会は初めて被爆二世と協力者にスタッフを依頼。英語、中国語、ハングルの通訳、説明員、会場整理などスタッフの実数は34人。中国語の通訳を担当した協力者は、仕事を休んで連日都庁にかけつけました。
 東友会では、大きな反響をよんだ原爆展を毎年11月頃に都庁で開催し、核兵器廃絶への願いをひろげ続けたいと話しています。

東京原爆展入り口。多数の来場者が足を止めて展示に見入る。
2010年は2月と11月の2回、都庁展望室で東京原爆展を開催。
日本全国・世界各地からの観光客をはじめ様ざまな人たちに「核兵器なくせ」のメッセージを送りました。
(撮影:森貞士)

「東京にこそ常設館を」、「子どもにちゃんと伝えていきます」
東京原爆展に寄せられた感想から

 東友会が東京都庁45階の南展望室で開催した「伝えようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」では、入場者と被爆者、被爆二世・生協や原水協、日中友好協会などのボランティア・スタッフとの交流がひろがりました。お願いした感想文は、入場者とともにスタッフからも多数寄せられました。その一部を紹介します。

  • 都庁45階でなぜ原爆展なのかと思っていました。都議会1階のギャラリーの方が入りやすいのに……。来て納得です。原爆展を観るためでなく展望室を訪ねる観光客の目にも触れるのですね。核兵器が人類にとって無益、いや有害そのものであることを改めて考えさせることができます。
     峠三吉の詩からはじまる展示の内容も、平和へのメッセージで締めくくり、説得力があります。中国・韓国からの観光客も多いと思いますので、ボランティアの通訳でなく、掲示物のキャプションに中国語・ハングルも入れたらよいと思います。東友会のみなさんのご努力に敬意を表します。(東京都・男性)
  • 涙が止まりません。小学2年生の時、原爆の絵を見て以来、戦争の恐ろしさを知りました。主人が長崎県人で、何回も資料館を見学しました。義兄は被爆者でした。絶対原爆は地球上からなくさなければと思います。大勢の人がこういう展示会を見てほしいと思います。ありがとうございました。(女性)
  • 現在、高校一年で、英語の教科書CROWN(三省堂)の内容で「焼き場の少年」の写真を挿絵に使って授業を進めています。ジョー・オダネル氏のインタビューがそのまま本文になっています。先日ニュースでこの原爆展のことを知ってうかがいました。
     改めて、戦争の過ち、惨禍というものを見ることができました。過去の過ちをくり返さないためにも、若い世代が、後世にいかに伝えていくかが大切だと思いました。(未記入)
  • 何度も目をそむけました。でもそんなことをしてはいけない。しっかりと見て、若い人たちに伝えていかなくてはと思いました。日本から、そして世界から原爆をなくすよう運動をしていこうと思います。(東京都・女性)
  • 広島・長崎に行ったことがなく、今回のような原爆展を拝見するのは初めてのことでした。原爆のこと、被爆のことは新聞・テレビ等でもちろん知ってはいましたが、ただ事実を知っていただけで、これほどひどいことなのだと強く実感したのは、今回が初めてです。
     写真とともに被爆した方がたの生の声を読んで(聞いて)いる内に目頭が熱くなりました。このような事実をもっと日本中、世界中の人たちに知って欲しい、知らなくてはいけないと強く感じました。被爆者の方がた、ご家族の方がたのご苦労が察せられますが、お身体に気をつけて、今後もこのような活動を続けていかれることを願っております。(女性)

他県からも来場者が

  • 「焼き場の少年」の写真と「乳飲み児を抱いた母親」の写真に涙が出ました。瓦礫の記録もそうですが、人間の傷ついた姿を見ると、絶対に核兵器は許されないと思います。
    私たちは過去の記録を見るだけでなく、現在の軍拡競争、核兵器の強化に反対の行動をしなければならないと思っています。それと、核以外の大量殺戮兵器もなくさなければなりません。原爆の惨禍が現実の世界に、今も戦争状態であるところ(イラク・アフガンなど)もあります。若い頃、広島と長崎の資料館も見ましたが、たまたま今日この都庁で(原爆展を)見られて、また新たに核反対の意志を固めることができました。(福岡県・男性)
  • 今の日本があること、そして、自分たちが幸せに暮らしていけること、原爆で亡くなられた方がたの分まで精一杯努力し、生きなければ、霊は浮かばれないと思います。仕事で上京して来展しました。ありがとうございました。(宮崎県・男性)
  • 私は、この「東京原爆展」を見るまでは、戦争がどれだけ恐ろしくひどいものかを知りませんでした。もし、ここに来なければ、きっと戦争をテレビの中でしか知らないままでいたかもしれません。ほんとうにここに来てよかったと思っています。(未記入)
  • 昭和58年生まれの私は、祖母の話のみが生々しい戦争の話を聞く唯一の手段でした。戦争は遠いようで近い話だと思います。私は友人とケンカをして、人を傷つけたりもしますが、「ゴメンね」と謝って仲直りします。でも、国と国のケンカの話は別です。当たり前かもしれませんが、もう二度とあってはならない歴史です。
    私は、子どもにちゃんと伝えていきます。(未記入)

外国の観光客も

  • 数々の場面が、戦争がいかに悲惨だったかを物語っている。人びとはこれを直視し、戦争が本当に必要か、反省すべきだ。一般国民も指導者も戦争に突入する前に熟慮すべきである。(インドの女性)
  • 僕は、広島と長崎に投下された爆撃は、非人間的だと思う。人間はいかに憎しみあおうとも、このような方法をとるべきではない。この爆撃が(原爆展の写真を見て)全て邪悪で酷薄なものだとわかった。(シンガポールの学生)
  • 今、私自身がショックを受けているように、私は、核兵器の脅威を誰もが理解して欲しいと思う。これはまさに狂気である。皆で阻止するための支援をしなければならない。(米国・30代の男性)

ボランティア協力者から

  • 第1ブースを担当しました。横須賀から参加した女性は、「国連本部で展示されたパネル、初めて見るものもあって、来てよかったと思う。このような原爆展を日本中隅々で開催して、多くの人に悲惨さを伝えて欲しい。恐ろしさは時が経つと忘れてしまう。原爆展のポスターを各家庭に貼って、2011年は何時開催されるから行こうと思えるようになるといい」と話していました。涙をぬぐいながらパネルに見入る外国の方や、茶髪・ミニスカートの女性も……。とても勉強になりました。次回もぜひ、スタッフに参加させていただきたいと思っております。(女性)
  • 昨日、ボランティアで参加させていただきました。これほどたくさんの方が関心を持ってくださるとは予想外でした。とくに若い方や外国の方たちが、展示を見て核戦争がいかに悲惨なものであるかを知り、戦争を阻止しなければならないと感想を述べているのを聞き、この企画が人類の未来に僅かでも役に立つのではと希望を持ちました。
     長崎・広島だけでなく、観光客やビジネスで訪れる人が多い東京にこそ、常設館を設け、被爆国日本から強力な反戦のメッセージを発信していくといいのではないかと思いました。(東京都・女性)
ついたてに展示されたパネルを見る、子どもからおとなまでさまざまな人たち。
多彩な国ぐにの人が熱心に見学してくれた東京原爆展
ガラスケースに入れられた展示物をのぞき込む人たち。
親子連れも多く、パネルや現物資料にはいつも人が……。
椅子に座った人、立っている人数人が会話している。
参加者と被爆者が懇談する場面も。証言ビデオに見入る人も……。