被爆60年を迎えて 被爆の実相を語りつづけましょう
東友会会長 藤平典
あけましておめでとうございます。
今年(2005年)は「被爆60年」です。日露戦争から100年、治安維持法制定80年、国連創設60年、バンドン会議50年、自民党結党50年――といわれます。
考えてみると、被爆してから今日までより、日露戦争終結から被爆時までの方が短いのです。戦争から戦争の期間より、平和の期間が長いのです。それには世界の平和を守る力が大きくなっていること、わが国は世界に誇るべき平和憲法を守ってきたことが大きな力になっていると思います。
現在、戦後生まれ・戦争を知らない世代が7割を超えているといわれます。当然、ヒロシマ・ナガサキを知らない人びとが多くなっています。でも、被爆当時17歳の人(今年「喜寿」!)にとって、日露戦争はどう感じていたのでしょうか。生まれた年からみると日露戦争は23年前のことですが、自分には関係ない遠い昔のお祖父さんの思い出話というように受けとっていたのではないでしょうか。とすれば、いま10代、20代の若者たちにとってヒロシマ・ナガサキは、被爆者にとっての日露戦争よりも遠い昔のことであり、「歴史」の1ページにすぎないのではないでしょうか。
しかし、広島・長崎に投下された原爆の数倍、数十倍の威力を持つ核兵器が、3万発余も存在し、現実にいつでも使える状態であることを考えれば、被爆は遠い歴史の1ページではありません。
私たちに残された時間はあまり多くはありませんが、あの「地獄」をふたたび起こしてはならないことを体験を通じて訴えつづけなければ、被爆の事実が過去の歴史のページにしまい込まれて、現在と未来の核兵器の使用を容易にさせてしまいます。
私たち被爆者は、いまこそ被爆体験を、そして核兵器の現状とその危険性を訴え、核兵器をなくせの声をあげつづけなければなりません。
私たちにとって「還暦」とは、「現役の終わりではなく、これまでを振り返り、新たな人生に向けた再出発の区切りである」といわれた先輩の言葉を思い出し、歩みつづけたいと思います。