エノラ・ゲイは人類の負の遺産 被爆者がスミソニアンで行動
広島の被害を展示せよ! 機体に向かって被爆写真
アメリカ・ワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館が、2003年12月15日、広島に58年前に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」を完全復元し、一般展示しました。展示は、アメリカの航空技術の発展を誇るもので、同機については「広島に原爆を投下したと説明するだけで、14万人を殺し、58年経っても原爆被害がつづいていることについては、まったくふれていません。このため日本被団協は、アメリカの平和団体の要請にこたえて、12月11日から19日まで、抗議・要請団4人(田中熙巳団長)をワシントンに派遣しました。
これには東友会の西野稔事務局次長(国分寺・国分会長)も参加、署名25000人分と要請書を館がわに渡し、被爆者の願いをとどけました。広島原水禁から参加した坪井直同県被団協事務局長らと合流しての記者会見には、日米のマスコミ50社が参加。新聞やテレビで大きく報道されました。
15日の抗議集会で西野氏は、「エノラ・ゲイは戦勝のシンボルとしてではなく、人類の負の遺産として展示すべきだ。ふたたび被爆者をつくらない誓いを込めて、原爆による被害の実相を展示してほしい」などとのべ、核兵器廃絶を強く訴えました。
「使える小型核」開発に抗議 米市民らと討論集会
エノラ・ゲイ展示で被爆者を招いたアメリカの平和団体は、核兵器の被害を国民に知らせようとしない政府に対し、きびしい批判を寄せていました。
12月13日にアメリカン大学で「21世紀における広島─われわれは過去を繰り返すのか」の討論集会が開かれ、歴史家、作家、ジャーナリストらが参加しました。ダニエル・エルスバーグ氏は、「原爆投下は非戦闘員を攻撃することであり、どのような状況のもとでも正当化できないテロだ。人間の尊厳を守るためにも核兵器は廃絶されなくてはならない」とのべました。
14日はワシントンの教会で「ヒバクシャ」集会が開かれ、宗教者や平和活動者ら200人が集まりました。アメリカ・フレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソンさんは、「エノラ・ゲイ展示は広島の記憶をなくすことを意図したもの。ブッシュ政権が『小型核』といいながら広島原爆の70倍の威力の核兵器開発を再開したことは核兵器の拡散と核軍拡を招く」と批判しました。
(西野稔)
エノラ・ゲイを「負の遺産」として 西野稔さんの発言
エノラ・ゲイ展示への抗議行動で訪米した西野稔さんの発言要旨を紹介します。
1945年8月6日、私は夏空の頭上にキラリと光るエノラ・ゲイを見ました。今ここに生きてふたたびエノラ・ゲイに会うとは夢にも思いませんでした。
私は爆心地から2キロの屋外で直接被爆しました。当時13歳の中学生でした。ピカッと一閃、吹き飛ばされて地面に叩きつけられ、顔面、腹部、両腕などを火傷し、顔を膨らし、両腕から皮を垂らしながら逃げまどいました。
広島では、一発の原子爆弾で14万人が殺されました。とりわけ無念でならないのは、そのうち65%が、幼児を背負った母親、老人、児童、中学生徒などの弱者だったことです。
私たち被爆者は、核兵器は二度と使ってはならない大量破壊殺戮兵器であり、「ふたたび被爆者をつくるな」と訴え続けてきました。
このたびの展示について渡しは、「B29爆撃機「エノラ・ゲイ」を「原爆ドーム」と同じくアメリカの負の遺産としてとらえ、「原爆被害の実相」をあわせて展示されるよう切に要望します。
生き残った被爆者に残された時間は長くありません。私たちの願いは、あの時声を上げられないで死んでいった人たちの願いでもあるのです。核兵器廃絶を可能にできるのは、唯一の被爆国である日本と、今や世界最強の軍事力を持ち、最大の核兵器保有国となったアメリカの2国が、国連で「核兵器廃絶」をリードすることです。