被爆者相談所および法人事務所
〒113-0034 文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階
電話 03-5842-5655 ファックス 03-5842-5653
相談電話受付時間
平日 午前10時から午後5時、土曜 午前10時から午後3時

被爆80年 広島・長崎ピースツアー

 東友会は2025年、被爆80年事業として、東京都生協連などと協働していくつかの企画に取り組んできました。これまでも節目の年に取り組み、東友会としては6回目となった「広島・長崎ピースツアー」が10、11月におこなわれました。両ツアーの様子をお知らせします。

広島ピースツアー 体験通じて平和の大切さを再認識

 広島ピースツアーは10月5日から7日までの3日間の日程で実施され、東友会からは15人、生協関係は29人の計44人が参加しました。
 5日、羽田空港を出発して広島に到着後、まず平和公園の原爆慰霊碑へ。厳粛な気持ちで献花したあと、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館と原爆資料館をじっくり見学しました。
 6日は、広島市役所を訪問して松井一實市長と懇談。松井市長は「世界情勢が不安定な今こそ、核兵器を使わない市民の合意形成に尽力をお願いしたい」と、広島ピースツアーの参加者にねぎらいと期待の言葉を述べました。
 その後、被爆建物の一つである袋町小学校の旧校舎を見学したあと比治山方面に移動し、放射線影響研究所(放影研)を訪問して説明を受けました。周辺の比治山陸軍墓地を見学したあと南へ向かい、旧陸軍被服支廠跡を見学しました。ここは爆心から2.7キロメートル離れていますが、原爆の爆風で大きく歪んだ窓の鉄製扉がいまも残されており、原爆の威力を感じさせます。
 最終日となる7日は、船で似島に渡りました。似島は、もともと陸軍検疫所が置かれていましたが、原爆投下後に約1万人の被爆者が避難・収容された島です。似島慰霊碑・資料館を訪問し、ボランティアの説明員の案内を受けて見学。慰霊碑に献花をしました。
 旅程の随所で、東友会と生協参加者が世代を越え交流を深めることもでき、充実した3日間となりました。

広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑を背景にした参加者の集合写真。「被爆80年 広島・長崎ピースツアー」と書かれた横断幕を広げ持っている。
広島ピースツアー
レンガ造りの建物の前の道を歩く参加者たち。建物には、壁に沿って等間隔に「安全対策工事」のためと思われる足場が組まれている。
陸軍被服支廠跡を訪ねて(広島)
フェリーのオーニングデッキに立つ人たち。ツアー参加者以外の人も写っているのかどうかは不明。
宇品から船で似島へ渡る(広島)

長崎ピースツアー 被爆者と市民がともに学ぶ継承の旅

 長崎ピースツアーは11月9日から11日までの3日間の日程で実施され、東友会からは11人、生協関係は27人の計38人が参加しました。
 9日朝8時に羽田空港に集合し長崎へ。空港から市内へのバス移動の時間には、参加者が自己紹介して抱負を語り合いました。
 最初に、平和公園を訪れ平和祈念像の前で一人ずつ花を手向け、静かに黙祷を捧げたあと、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を見学しました。続いて、原爆資料館や爆心地公園などを歩いて巡り、展示や遺構を通じて被爆の実相を学びました。
 10日は、朝から放射線影響研究所(放影研)を訪問。被爆者の健康調査や研究の説明を受けました。その後、長崎市役所を表敬訪問。東友会の家島昌志代表理事が「被爆者の願いを若い世代に継いでいきたい」と述べると、対応した柴原慎一副市長は、「市としても被爆体験を未来へつなぐ活動を大切にしていきたい」と述べ、互いに協力を確認しました。その後、山里小学校、浦上天主堂、城山小学校平和祈念館、山王神社の一本柱鳥居を訪問しました。
 11日は、長崎大学原爆後障害医療研究所を訪ね、被爆者の長期健康調査の歴史と成果を学びました。
 長崎での3日間は、新たな継承の一歩を踏み出す旅となりました。

平和祈念像を背景にした参加者の集合写真。「被爆80年 広島・長崎ピースツアー」と書かれた横断幕を広げ持っている。
長崎ピースツアー
長崎市立山里小学校nいある「あの子らの碑」の前で、花束を持ち腰を折るように頭を下げる人。その様子を、�テレビクルーたちが撮影している。
山里小学校で献花(長崎)
展示された資料を見る参加者たち。見ている展示物自体は写っていないため不明。壁に「原爆後障害医療研究所 長崎原子爆弾の医学的影響」の文字がある。また、長崎原爆がさく裂した時刻である11時2分を指して止まっている柱時計が置かれている。
原爆後障害医療研究所で(長崎)

広島・長崎ピースツアーの感想から

 「広島・長崎ピースツアー」参加者から寄せられた感想の一部を紹介します。

  • 原爆被害については、本や学校の授業で学んだ知識しかなかった私にとって、今回のツアーは、自分の目で見て感じることで、あらためて被害の深刻さを実感する貴重な体験となりました。人は、知り合うことでその人の経験を自分のことのように感じられるようになるのだと思います。東友会の皆さんの顔や名前、支部のある場所、被爆当時の年齢、爆心地からの距離――それらが今も記憶に残り、帰宅後も折にふれて思い出されます。
  • ツアーに大変満足しています。個人では行けない様ざまな場所を訪れることができたこと、被爆者の方がたの貴重なお話を近くで聞けたことはとてもよかった。
  • 広島は初めての訪問だったのですが、実際に原爆の被害に遭われた方やそのご家族と一緒にツアーを回れたことは、大変貴重な体験でした。
  • 似島が印象に残りました。多くの戦争被災者、原爆被爆者そして捕虜となった外国人も多数収容されていた場所であると知り、とても厳粛な想いを抱きました。
  • 東友会の皆様と一緒に3日間、広島を同行でき、直接お話を聞かせていただくこともできました。この広島ピースツアーのことを、かならず、次に繋げていけるよう、少しでも、これからもお力になれるよう、頑張りたいと考えております。
  • これまで8月6日の集会が開催される広島を慌ただしく訪れたことしかありませんでした。平日に時間をかけて大切な場所を訪れることができました。改めて原爆被害の実相を心身に刻むことができた思いです。
  • 元々、祖父の経験から原爆や戦争について興味を持ち、何かしたいと思ってはいました。今回のツアーでその思いがより深まりました。
  • 山里小学校、城山小学校の2カ所を同日に訪れることができたのは、強く印象に残る体験となりました。教育って大事だと身に沁みました。
  • 城山小学校の平和祈念館が印象深かった。被爆時の様子がよく分かるような遺物のみならず、子どもも含めていろんな人の心に刺さるような言葉が残されていて涙が出そうだった。
  • 長崎の平和への思いをさまざまな場所で感じることができました。自分の足を運び、肌で感じる機会はなかなかないと思うので実際に体験できてすごく満足しています。また長崎で被爆された方がたともお話しすることができ素直な気持ちを知ることができました。
  • 長崎の現地で感じたこと、想いを、周囲の人に伝え、共感を広げることが大切だと思いますので、継承、伝える活動に取り組んでいきたいと思います。
  • 今回のピースツアーで得た最も大きな学びは、ツアーのテーマでもあった「継承」の重要性です。被爆者の平均年齢が86歳を超え、被爆の実相を直接うかがえる時間が限られている中で、この「継承」は待ったなしの課題だと痛感しています。