被爆80年の広島・長崎 雨にたたられるも代表の任務はたす
被爆80年目の平和祈念式典が広島・長崎両市の平和公園で開催されました。東友会は2025年も、広島市には8月5日と6日遺族代表・竹中清史さん(町田)、死没者調査員・山﨑裕子さん(小平・被爆二世)と村田未知子事務局長を、長崎市へは8日と9日、遺族代表・山下和宏さん(足立)、死没者調査員・村田事務局長、的早克真事務局次長を派遣し、東京都から委託された原爆死没者名簿の照合を依頼し、式典への参列、東京の木の生育状態の確認をしました。
広島では
5日は広島市中央公園の「東京の木」ケヤキの前に東友会や地区の会の代表が集まり、ケヤキ3本の生育状態を確認しました。このケヤキは被爆40年の墓参団の参加者が、広島で集う場所がほしいと提案。1人500円の寄付を集めて植樹したもの。これには、プライベートで広島を訪れていた東京都の二宮博文疾病対策事業課長も参加しました。
その後代表は、広島市国際会議場内の市役所出張所を訪ね、東京で2024年に亡くなった173人の死没者と広島市の名簿の照合を依頼しました。
6日は、平和祈念式に遺族代表が参列。遺族代表と違い一般参加となる死没者調査員は、2024年の大行列で熱射病にかかった人がいたため、国際会議場会場内で式典に参列しました。
式典後に代表は、公園内に植樹されている葛飾の木・クスノキへの献水式に参加。原爆供養塔の参道に半世紀前に東友会代表が植樹した8本のイチョウを確認し、慰霊碑に献花しました。



長崎では
長崎では8月8日、代表4人が長崎市役所を訪ね、原爆被爆者対策部を訪問。伊福伸弘課長と面談して、153人の死没者と長崎市の死没者名簿の照合を依頼しました。
9日の長崎の式典がおこなわれた平和公園は、朝から集中豪雨に見舞われ、高低差のある公園内の通路は川のようになりました。このため、予定していた東京の木・クロガネモチへの献水を中止し、村田事務局長が、全身ずぶ濡れになって写真を撮り、生育状態を確認しました。
ところが式典開始30分前ころから雨脚が弱まり、式典開会後はほとんど傘が不要になり、平和祈念像の後ろには、雲の切れ間もみえてきました。
参列者は「凄いね。みんなの気持ちが伝わったのね」「被爆者の思いが伝わった」などど感慨深げに。代表は平和祈念式典に参列した後、平和祈念像に献花しました。


