被爆80年の国民平和大行進 8月の広島に向け東京を出発
雨にも負けず一歩ずつ 核兵器廃絶の道すじを踏みしめて
2025年5月6日、広島に向けた被爆80年・2025原水爆禁止平和大行進の東京―広島コースの出発集会が、夢の島・第五福竜丸展示館前で開かれ、約600人が参加。東友会と東京被爆二世・三世の会からは22人が参加しました。
日本原水協、第五福竜丸平和協会などの挨拶に続いて、日本被団協の代表理事でもある東友会の家島昌志代表理事がノーベル平和賞にふれながら、「私たちの目の黒いうちに核兵器廃絶に近づくようがんばろう」と挨拶。続いて参加した被爆者10人が一言ずつマイクを持って思いを語りました。
中西俊雄執行理事は、ビキニデー集会に初めて参加して「参加者の方がたからパワーをいただいた」と語り、青梅市から駆けつけた木村一茂さんは「原爆投下1週間前に生まれた弟は翌年に亡くなった。平和な家庭を一瞬にして壊した」と話しました。練馬区の渋谷瞭司さんは、「被爆者であるためにお見合いを30回も断られ続けた」と差別への苦しみを語り、江東区の小野口知子さんはノーベル平和賞が励ましになったと述べ、参加した東京被爆二世・三世の会のメンバーが紹介されました。

午後1時、広島に向かう行進が出発。強い雨の中でしたが、先頭の横幕には、くっきりと「祝 日本被団協ノーベル平和賞授賞 核兵器のない平和な世界の実現を」の文字。参加した青いタスキをかけた被爆者と二世が、この横幕を掲げ行進を先導しました。
午後4時すぎ、行進が外堀通りの有楽橋にさしかかると、さらに被爆者7人が加わりアピール行進。宣伝車からは「先頭を歩く青いタスキをかけた人たちは、広島・長崎で原爆を受けた被爆者です。ふたたび被害者を出さないため、訴えています」の声。合羽からしみこんでくる雨に負けずに、参加者は日比谷公園まで行進しました。
この日は、練馬区の宮本義巳さんが、雨にぬれて重くなった東友会の幟旗を掲げ続け、家島代表理事、大田区の四辻美智子さん、足立区の山下和宏さん、練馬区の綿平敬三さん、渋谷さんが全コースを行進しました。


平和行進2日目 随所で被爆者が活躍 芝公園から六郷土手まで歩き通す
2日目の国民平和大行進は、5月7日午前9時から港区芝公園の「平和の灯」の前で出発式をおこない、清家愛港区長からのメッセージや被爆者からの挨拶があり、上天気のなか行進が始まりました。
出発後、港区内を日比谷通りから第一京浜国道を経て品川区に入り、青物横丁駅前、鮫洲駅前、大森海岸駅などを経て大田区に入り、蒲田駅前などを経ながら第一京浜国道をすすみました。
午後3時ごろに六郷橋そばの宮本台緑地に到着。川崎市側から市内を行進してきた神奈川県の隊列に引き継がれました。
東友会からは出発式で港区の高木恭之さんが挨拶したほか、大田区の四辻さんと足立区の山下さんが前日を含めた全行程を、大友会の片田靖子さんが大田区内から引継式までの行程を歩きました。
