被爆者相談所および法人事務所
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「原爆被害者の墓」への納骨 孤立死した被爆者の遺骨の引き取りかなう

 2025年3月16日、2023年8月に孤立死した坂本治子さんの遺骨が、高尾の東京霊園にある「原爆被害者の墓」に合祀されました。
 2024年10月の段階では、坂本さんの遺骨の引き取りがかなわず、刻銘だけにとどまりましたが、「戦後ずっと一人で生きてきて、孤立死して、1週間以上も一人でいたなんて、あまりにも寂しすぎる」と、「原爆被害者の墓保存会」の代表でもある東友会の村田未知子相談員がその後も都議会議員の力も借りて区役所と交渉。遺骨を引き取ることができ、今回の納骨にこぎつけました。
 当日は強い雨でしたが、綿平敬三ノーモア・ヒバクシャ訴訟原告団長など東友会から8人が見守るなか、無事に納骨されました。

 坂本さんは、被爆当時3歳。長崎市大黒町で母・弟といっしょに被爆。1歳だった弟は被爆から1カ月に死亡。直後に、祖父母と母も亡くなり、家族全員を失いました。
 その後上京し、北区に在住。甲状腺機能異常を原爆症と認定してほしいと2010年に認定申請を提出しました。被爆距離が2.3キロだったため、申請は却下され、ノーモア・ヒバクシャ訴訟に参加。高裁で勝訴し、2018年に原爆症と認定されました。
 坂本さんは、一人で生きた戦後について、相談員にも弁護士にも語りませんでした。 2023年8月、赤羽警察署から死後1週間以上過ぎて発見されたとの連絡がありましたが、警察も区役所も坂本さんの身内はわかりませんでした。死亡日は不明で、埋葬許可証には「8月20日頃」と記載されていました。

棚に置かれた、骨壺を納めた骨箱。骨箱の手前に、中に千羽鶴を下げてあるペットボトル、プリザーブドフラワーの入ったガラスドーム、タスキを掛け、マイクを持って話している坂本さんの写真が置かれている。
事務所に置かれた遺骨