長崎「被爆体験者」訴訟判決 原爆被害者の分断を助長する内容
長崎地方裁判所は2024年9月9日、「被爆体験者」44人が被爆者手帳の交付を求めた裁判の判決を下しました。
判決は、爆心地から東側、矢上、古賀、戸石には「黒い雨」が降ったことを認め、そこにいた15人を被爆者と認めましたが、残り29人の訴えは退けました。敗訴した29人のなかには、爆心地付近から飛んできた灰が降った、周囲の人が何人も白血病にかかったとの証言がありましたが、これらは認められませんでした。
今回の判決は、「黒い雨」を直接受けなくても水や野菜を摂取したことで放射線の影響を受けた可能性があるという広島高裁の「黒い雨」訴訟判決の判断を大きく後退させるものです。日本被団協は11日、木戸季市事務局長が談話を発表。そこでは次のように述べられています。
広島高裁判決では原告全員が『被爆者』と認められたが、その後の被爆者健康手帳取得の条件に疾病条件を入れたことで、国は『黒い雨』をあびた原爆被害者をも分断している。
今回の長崎地裁判決で、なおも分断が持ち込まれたことは、司法の判断として大変残念である。被爆80年を目前に、すべての原爆被害者に国家補償を、強く求めるものである。
今回の訴訟の原告が上京して政府に要請する際は、東友会も全面的に支援することにしています。
「被爆体験者」とは
長崎の被爆者手帳の交付地域は、行政の区割りなどのため、長年東西6キロ南北12キロと定められてきました。この不均衡を破りたいと市民・被爆者と長崎県・市が国に要望。国は、東西南北12キロまでは、放射線の影響はないが被爆に不安を抱く地域とし、「被爆体験者」=第2種特例受診者として認めるという施策を実施してきました。
しかしこの施策は、がん検診のない健康診断とトラウマなどの精神的な被害による疾患の医療費助成だけが認められるものでした。長崎の人びとの運動の結果、近年一部のがんが助成対象に追加されましたが、被爆者と認める道は開かれていませんでした。
2021年7月、広島市の西北30キロ以上の地域に「黒い雨」が降ったとし原告84人全員に被爆者手帳の交付を命じた広島高裁判決をきっかけに、長崎でも被爆の実態にあった援護施策が求められていました。