2024年夏 各地で原爆展 工夫こらした展示 活発な被爆証言 市民との共同
被爆79年となった2024年の夏も、都内各地で原爆展が開かれました。被爆者地区の会が独自に企画したもの、自治体や他団体と共催したものなど、形式はさまざまですが、2023年から、コロナ禍以前と同様の原爆展が開催されています。
各地の原爆展は、被爆の実相普及、核兵器被害をくり返させないための記憶の継承のために、工夫をこらした新しい企画も盛り込まれています。本号(479号)では、7カ所の地区の会から寄せられた報告を紹介します。(開催日順)
3会場で13日間 武蔵野けやき会
恒例の原爆展が8月1日から、市役所ロビーで7日間、吉祥寺駅南北自由通路「はなこみち」で1日、武蔵野プレイスで5日間の計13日間にわたって開かれました。
パネルの展示だけではなく特色を出したいと考え、けやき会ができたいきさつや被爆証言を大きく書いて張り出しました。夏休み自由研究の親子、「手伝えることありませんか」と声をかけてくれる人など、たくさんの市民が来場し、展示物をしっかり見てくれました。会員が交代で説明しました。去年より反応が深かったです。(松田隆夫)
感想文がたくさん 文京・文友会
8月5日から8日まで、文京シビックセンター1階展示室2で、「第20回原爆の図展」を開催。特別企画として2023年に続き、幼稚園児から高校生まで50点を超える応募があったハガキ平和アート・メッセージ展も併設しました。
来場者は4日間で1100人でした。寄せられたアンケートは小学生から大人まで350枚。「怖い絵も、特に戦争孤児の写真に子どもが見入っていました」など母親からのものが多くありました。最終日、文友会の吉重信さんが会場で被爆証言をおこないました。(吉重信)
平和の木もいっぱい 足立・足友会
足友会は8月5日から9日まで、足立区と足立区教育委員会の後援を得て、複合商業施設アリオ西新井1階で原爆展を開催しました。
広島・長崎の被爆パネルが約50枚、手作りの原寸大の原爆模型をはじめ、被爆直後の新聞、広島・長崎の不明被害者の名簿、「もしここの上空に原爆が落とされたら」の足立区の地図などを展示。被爆証言のビデオも上映しました。
メッセージボード(平和の木)には220余のメッセージが、「核兵器禁止条約」の署名には50人分ほどのサインが寄せられました。(山下和宏)
被爆証言を聞く機会 町田・町友会
恒例の夏の平和イベントが8月6日から9日まで、町田駅前の生涯学習センターで開催されました。6日には、興田茂会長が「原爆とは」と題して原爆の脅威をパソコンで作成したスライドを使ってわかりやすく解説。その後、93歳の橋本通暁さんと86歳の神戸美和子さんが被爆の実相を生々しく語りました。
8日は、85歳の竹中清史さんが子ども向けに被爆体験を語り、最終の9日には故・深堀寛治さんの長崎での壮絶な被爆体験を綴った遺稿文が専門家により朗読され、深い感銘を与えました。(竹中清史)
被爆者の絵をもとに 調布・調友会
8月11日、調布市文化会館たづくりで「第37回平和のつどい」が開催されました。調布市の非核平和都市宣言を記念して市民の手で催されるようになったもので、調友会は実行委員の一員として参加しています。
2024年は、調友会会長だった故・田邉俊三郎さんが遺した被爆当時の絵をスクリーンで追いながら、田邉さんから伝え聞いた話を次世代の人が180人の観客に読み聞かせました。12日には現会長の奥卓三さんが、原爆に関わる自身の体験と思いを語りました。(堀北理枝子)
対政府署名に74人 墨田折鶴会
「第27回すみだ平和・原爆写真展」(同実行員会主催、墨田区後援)が8月14日と15日、墨田区役所1階ギャラリーホールで開催されました。今回も被爆の写真や絵をはじめ広島型原爆リトルボーイの模型、丸木位里・丸木俊夫妻の「原爆の図《火》」、広島の基町高校の生徒が被爆者の証言から制作した「原爆の絵」などを展示し、来館者に感動を与えました。
台風の影響で16日の開催が中止となったため、来場者は2日間で250人でしたが、地元テレビでも報道され、日本政府に核兵器禁止条約の参加を求める署名が74人から寄せられました。(湊武)
歩行困難な人を送迎 豊島・豊友会
豊島区が主催する「原爆被災パネル展」が8月15日から18日まで、豊島区役所1階のとしまセンタースクエアで開かれ、17日には被爆後の長崎を舞台にした映画「祈り ―幻に長崎を想う刻―」の上映もありました。
豊友会は、猛暑を心配しながらでしたが、案内チラシを作り会員に送りました。すると、足が悪くて外出できないという長崎被爆の会員から電話があり、最寄り駅近くからタクシーで送り迎えの支援をおこなったところ、たいへん喜ばれました。(柚木聚)