広島の「東京の木」が元の場所に戻りました
東京の被爆者の歩みとともに年輪を重ねて
2022年に広島のサッカースタジアム建設工事のため一時的に移植されていた3本の「東京の木」(ケヤキ)が、同工事の完了に目途がたち、元の場所近くに再移植されました。
2024年5月26日に広島市の弁護士会館で開かれた『原爆放射線被害 長崎・広島リレーシンポジウム ―― 長崎「被爆体験者」・広島「黒い雨」被害者に被爆者健康手帳を―』の参加に合わせ、東友会は「東京の木」の移植確認のため村田未知子事務局長を派遣しました。
現場に行った27日はあいにくの雨でしたが、広島市の職員に案内された移植場所は、サッカースタジアムの東側にある噴水「飛躍」の南側。この噴水は井形の上に大きく躍動する白い鯉の姿が印象的なので鯉の噴水といった方がわかりやすいのですが、球団広島カープの聖地とか。長崎の祈念像を作成した北村西望さんの作品のひとつです。
移植された3本のケヤキは、最初の植樹時は子どもの腕ほどの太さだった幹が、40年近く生長をつづけ、一抱えほどもある立派な大樹に生長していることを確認しました。
「東京の木」とは
被爆40年を迎える前年の1984年、「私たちは原爆で息子も家も、家財も全てを失い、東京に出てきた。広島に帰っても訪ねるところがない。せめて記念の木を植えたい」という発言が東友会常任理事会で出されたのをきっかけに、1人500円の募金を集め、この植樹を実現させる取り組みを開始。「夏の原爆の日に、広島・長崎で東京の被爆者が集まれる場所にもなる」「追悼の気持ちを込めて『献水』をしたい」などの思いもふくらみ、広島・長崎両市の心温まる協力もあって、1986年4月に「東京の木」の植樹がおこなわれました。
広島には中央公園の東南角地に、武蔵野台地で強く生きるケヤキ3本を東京の被爆者の象徴として、長崎には平和公園の階段横に、被爆後最初に芽吹いたクロガネモチ1本を植樹。その後は両市で毎年8月に献水をおこなってきました。