年末見舞い行動交流会 対面でわかること、励まし合えること
東友会と東京原水協は2023年2月5日、被爆者年末見舞い行動交流会を平和と労働センターホールで開きました。年末に東友会と東京原水協が共同でおこなっている年末見舞い行動の経験交流のため開いているもので、全体で24地区・地域から41人が参加。東友会からは18地区29人が参加しました。
開会の挨拶に立った東京原水協の市川順子事務局次長は、「改めて東友会の55年史、60年史を読んだ。1965年以来の活動を、ともに力をあわせて続けてきていることに感銘を覚える」と、年末見舞い行動が継続して取り組まれていることの大切さを訴えました。
参加したすべての地区が、それぞれの訪問行動の様子を報告。年末見舞金と編み物だけでなく、餅、カレンダー、カステラなどを届けたところもあり、訪問にあたって各地区でおこなわている工夫も語られました。
訪問先は、日ごろ人と話す機会がない独り暮らしの人も多く、玄関先で30分近くも話し込んだという報告もありました。とくにこの2、3年はコロナ禍もあり、久しぶりに対面で交流でき様子がわかってよかった、との報告が多くの地区からありました。地区の会が休会中でも原水協の人だけでお見舞い訪問がおこなわれた地区もあり、被爆者を見守る目があることは心強いとの声もありました。訪問する側の人たちも高齢になってきており、今後の行動の課題もあります。
最後に、東友会の家島昌志代表理事は、「訪問して安否を問いたい人はもっと多い。日ごろのつながりを大切にしながら、お見舞い訪問行動を続けていきましょう」とまとめました。
![広い部屋の前方で、一人が立って話をしている。他並べられた長机に地区ごとに着席した参加者が、メモを取るなどしながら話を聞いている。](img/0460_20230200_nenmastumimai.jpg)
年末お見舞い訪問 各地区の報告から(続報)
2022年末におこなわれた「被爆者年末お見舞い訪問」。前号(459号、2023年1月)に引き続き、寄せられた報告を紹介します。(訪問日時順)
大田区
12月6日、大友会1人と大田原水協2人で、3人の被爆者をお見舞いしました。
長年夫の看病をしていた78歳の女性は、先ごろ夫を亡くしたとのこと。看病疲れが感じられましたが、「大友会のお手伝いをします」と言ってくださいました。82歳の女性は、現在最も古い会員のひとりで、お元気そうだったので安心しました。(中川夏代)
![玄関ドア前で、カメラのほうを向く笑顔の訪問先の方1名と訪問者2名。3人で、見舞金の封筒と、編み物の入った袋を持っている。](img/0460_20230200_nenmastumimai01oota.jpg)
江戸川区
12月17日から22日にかけて、12人のお宅を訪問。参加したのは江戸川親江会5人、江戸川原水協5人です。
全員80歳以上で最高齢は101歳。元気で過ごしている人がいる一方、施設入所の準備をしている人もいました。
現在は要介護度3という94歳の男性宅では、被爆三世の孫が米国に住んでいて親江会の活動を支援したいと言っているという話を事前に聞いていたのですが、訪問時にそのお孫さんが来日しておられ、親しくお話することができました。(高比良毅)
![室内でカメラのほうを向いて並ぶ訪問先の方と訪問者。](img/0460_20230200_nenmastumimai02edogawa.jpg)
港区
12月20日、港友会2人、港原水協2人が参加し、3人の被爆者宅を訪問しました。
ある男性は、本人が玄関まで迎えに出てくれ、お話をすることができました。別の男性は、東友会に手伝ってもらって原爆症認定申請の手続き中とのことで、その話をしました。(髙木恭之)
![室内で、見舞金の封筒と編み物の入った袋などを、訪問者が訪問先の方に手渡している。訪問先の方が笑顔で受け取っている。](img/0460_20230200_nenmastumimai03minato.jpg)
練馬区
12月23日、被爆者練馬の会の5人が参加し、3人の被爆者宅を訪問しました。
88歳の女性は長崎被爆。訪問を喜んでくださり、話がはずみました。長崎の被爆体験をもっと多くの人に聞いてほしいと話していました。
99歳の女性は、一人暮らしで外出ができない状態で、訪問介護を受けながらの生活。最後の一人は施設に入っていて面会できず、1月7日に再訪問し、娘さんが対応してくれました。(綿平敬三)
![室内で、訪問者2名を出迎える訪問先の方1名。](img/0460_20230200_nenmastumimai04nerima.jpg)
杉並区
12月24日から26日にかけて、杉並光友会4人、杉並原水協2人で、6人の被爆者を訪問しました。
ひとり暮らしの人、4世代で暮らしている人、老人ホームに夫婦で入っている人など、状況は様ざまですが、みなさん身体に病気や障害を抱えながらも、しっかり暮らしておられました。
ある男性は、「光友会の活動の役に立てなくて申し訳ない」としきりに恐縮していましたが、「光友会ニュースに投稿します」とも話していました。(久保田朋子)
![室内で、訪問先の方と訪問者が会話している。歩行器のハンドルと思われるものに腕をのせているのがおそらく訪問先の方。](img/0460_20230200_nenmastumimai05suginami.jpg)
足立区
12月25日、足友会から5人、足立原水協から2人が参加して4人の被爆者を訪問。一人は都合で年明け1月22日に再訪問しました。
83歳の女性は、ひとり暮らしで、定期的に通院しているとのことですが、家事もひとりでこなしておられました。
別の女性は、病気のため右半身が動きづらく、耳も聞こえ難いとのことでしたが、玄関口まで補助車を押して出迎えてくれ、被爆時の体験などを話してくれました。(山下和宏)
![室内でカメラのほうを向いて5人が並んでいる。一人は着席していて、4人は立っている。おそらく全員が訪問者で、訪問前か訪問後の集合写真と思われる。(記事に説明なく不詳)](img/0460_20230200_nenmastumimai06adachi.jpg)
稲城市
12月26日、稲友会1人と稲城原水協1人の2人で、ひとり暮らしの被爆者を訪問して、お見舞金と編み物を渡しました。
週3回ヘルパーの世話になっているそうです。お見舞いをとても喜んでくれ、年が明けると91歳になるとのこと。「こんなに生きられるとは思っていなかった。皆さんの支援のおかげ」と話していました。(濱住治郎)
![室内でカメラのほうを向く訪問先の方と訪問者。2人で見舞金の封筒を持っている。](img/0460_20230200_nenmastumimai07inagi.jpg)
世田谷区
12月27日、世田谷原水協の2人で3人の被爆者を訪問。一人には会えず1月13日に再訪問しました。
広島入市被爆の91歳の男性は、ほとんど動けない状態で、80歳代の妻が老々介護の状態でした。87歳の男性は、長崎1.0キロで被爆したとのこと。まだ長崎に知り合いがいるので、来年は長崎に行きたいと話していました。
年明けに再訪問した人は、長崎2.5キロ被爆の人で、当時の様子を話してくれました。(橋本博)
![玄関内で、受け取った見舞金などを手に持った訪問先の方に、訪問者が手ぶりを交えて何か話している。](img/0460_20230200_nenmastumimai08setagaya.jpg)
江東区
江友会では、年末に訪問できなかったため年明けの1月21日、江友会の3人で5人の被爆者を訪問しました。
訪問したのは全員男性。おひとりは、家の入口まで出迎え歓迎してくれました。3年前に妻を亡くし現在はひとり暮らしでヘルパーの世話になっているとのこと。日ごろ人と会う機会が少ないからか、いろいろな話をしてくれました。
別のひとりは、妻が数年前から寝たきり、自身も具合が悪く在宅介護を受けている人で、訪問を喜んでくれ、2つ並んだベッドの横で現状を話してくれました。(中田信子・八木初音)
![訪問先の室内で、お見舞金と編み物を手渡す訪問者と受け取る訪問先の方がカメラのほうを向いている。](img/0460_20230200_nenmastumimai09koutou.jpg)