【訃報】 東友会前会長・顧問 横川嘉範さん
2010年6月9日、悪性リンパ腫再発の治療中、嚥下性肺炎のため死去。享年81歳。16歳のとき広島市段原東浦町で被爆。1981年から東友会常任理事・理事、1991年から8年間、被爆者援護法制定大運動の時期に事務局長、1999年から副会長、2005年から2007年まで会長。世田谷同友会でも2001年から2009年まで会長。
広島師範学校を卒業した49年、爆心地から4キロの地点にあった仁保小学校の教師に赴任。生徒が校庭で人骨を掘り出したことから『あの日』の記憶に苛まれ退職。51年に上京した後、江東区や世田谷区などで小学校教師を勤め、戦時教育の反省から児童の生活指導と平和教育で活躍。
1989年、悪性リンパ腫を手術した後、原爆症認定申請を提出しようとしましたが、「放射線影響研究所にいた師から原爆の後障害は終わっていると聞いた。診断書は書けない」と主治医に言われて断念。
1990年8月、東友会事務局長として広島の平和式典に参列する前日、仁保小学校を訪問した後、平和公園内の供養塔の外で「広島の建物の下は遺骨だらけだ。遺骨の上をこのままでは歩けない」と、靴を脱ぎ裸足で焼香台の前に行き、持参したロウソクに火を灯し線香にうつし、般若心経を唱えていました。
1994年12月、被爆者援護法の成立直前に参議院厚生委員会から意見陳述を依頼され、東友会事務局長として「参議院で二度可決された国家補償を明記した被爆者援護法を制定していただきたい」と陳述。法制定後は、38・39条の福祉施策の実施のために調査をすすめ、法の活用にも尽力。
2010年始めに悪性リンパ腫の再発が発見され、原爆症認定申請を準備していました。