原爆症認定集団訴訟 東京訴訟 本人尋問 一人助かった後ろめたさ背負い
原爆症認定を求める集団訴訟の東京の原告の1人、新田朗さん(73歳 長崎被爆)の本人出張尋問が、2005年11月14日、山梨県都留市の甲府地裁都留支部でおこなわれました。新田さんは胃ガンで、東京に出頭する体力がないため、出張尋問になりました。尋問は、担当の竹内英一郎・與那嶺慧理両弁護士ほか4弁護士が担当しました。
新田さんは被爆当時、長崎市山里町で家族7人と暮らし、勝山小学校高等科2年に在学中。あの日は夏休み中で、爆心から2キロの中之島海岸で釣りをしていました。そこで被爆し、両足ふくらはぎに火傷を受けました。山里町の実家は爆心地に近く一家は全滅。助かったのは新田さんだけでした。新田さんは、釣りをしていて助かったということが言えず、川南造船所で働いていたことにして、被爆者手帳を取得していました。戦後60年経って、この本当のことを、初めて、裁判所への陳述書に書きました。
本人尋問では、このことが問題になりました。しかし新田さんは、うそを言い続けてきたことを反省し、ほんとうのことを勇気を持って陳述。原爆の被害の深刻さと、被爆者行政の冷たさをきっぱりと証言し、傍聴していた弁護団と傍聴者に感動を残しました。