東友会と東都生協との交流各地で
1988年12月から続いている東都生協と東友会の「編み物を贈る交流会」が2003年も3カ所で開かれ、のべ170人が参加しました。この16年間で被爆者に届けられた編み物は6000点にのぼります。
中部:手作りの昼食と全員発言で涙を流しながら交流
12月11日に東都生協さんぼんすぎセンターで開かれた中部地区の交流会では、世田谷区の高瀬二葉さんが被爆当時来ていた背中の割けたワンピースを見せながら証言。東友会の村田未知子相談員が原爆症認定集団訴訟への支援を訴えた後、世田谷区の三つの合唱サークルがすばらしい歌声を披露。手作りの昼食をいただきました。
中部では2003年も被爆者と組合員全員が発言。
「いつもの会議の前の黙祷で思い浮かべる初恋の女性はお下げ髪のままです。でも、その顔がおぼろげになってきました」「テレビで国立追悼祈念館が紹介されたとき、原爆で死んだ父の顔がアップで紹介されました。核兵器廃絶のためにがんばれと励まされていると感じました」「1日でも長生きして平和のために訴えてください」「自衛隊員の恋人をイラクに行かせたくないと街頭で訴える女の子を見て、戦前がこうだったのかと思いました」。
この全員発言は交流会がはじまって以来の「伝統」ですが、2003年も感動の渦になりました。
東部:「平和は生協運動の原点です」被爆者の話に励ましの言葉
12月2日に飯田橋セントラルプラザで東部の交流会が開かれました。
ここでは、足立区の豊田嘉幸さんが学徒動員先の工場で先輩を見捨てて逃げたことと「足をつかんで助けを乞う幼児に、『自分はひどいケガで連れていけないけど、君がいることをちゃんと知らせるから』と話しかけると、すっと手を離したくれたことが忘れられない」という話は参加者の感動をよんでいました。
交流会では、東友会の村田相談員が、集団訴訟に参加しているこの地区の被爆者を紹介しながら、裁判への支援を訴え、東都生協の矢野洋子副理事長も参加して、「平和こそ私たち生協の運動の原点です」と被爆者を励ましていました。
西部:ギターと歌とゲームで親睦 子どもたちから贈り物も
西部の交流会は、11月27日にルミエール府中で開かれ、二つの会場が準備されました。ひとつは子どもたちの部
屋。ここでは、国分寺の西野稔さんが、体験を証言。大人たちの部屋では、山本英典事務局長が集団訴訟への支援を訴えました。被爆体験の証言は、三鷹市の出島艶子さんが600メートルの至近距離で被爆した広島の体験を、町田市の寺沢茂さんが、被爆直後の広島での救援活動について証言しました。
東都生協からは、夏の平和行進に参加した組合員関口美知子さんの楽しい報告と「東都生協の森山良子」松林潤子さんのギターと歌、ゲームが親睦を深め、参加した子どもたちの手で編み物が贈られました。